皆さん、卑弥呼の死因をご存じでしょうか。卑弥呼とは日本の歴史の教科書には必ず名前が登場する有名な女王で、邪馬台国をシャーマンと呼ばれる占いで統治していたことでも有名です。そんな卑弥呼ですが、実は死因についての言及が歴史的文書にないのです。ここまで有名な女王の死因について言及がないのは不思議ですよね。どうやら皆既日食と関係あるという説もあるようです。今回はそんな卑弥呼の死因について紹介していきます。
(画像引用: ものがたり起業)
卑弥呼とは何者か
卑弥呼とは約1800年前の弥生時代に日本の邪馬台国で活躍した女王を指しています。彼女は男性が治める国であった日本で初の女王として、内乱後に権力を握りました。「王」という称号と金印を中国の魏から受け、これによって公式に日本の王として認められました。彼女には政治的な補佐役として弟がおり、私生活では結婚せず、食事を運ぶ男が1人仕えていたと伝えられています。 彼女には大規模な墓が作られ、その後はまた男性が王位につきましたが、内乱が続いた末に卑呼の一族から新たな女王が誕生し、国は安定を確保しました。
卑弥呼は約1800年前の弥生時代の邪馬台国をシャーマンと呼ばれる占いのようなもので治めていたと言われています。シャーマンの特徴はシャーマンががトランス状態に入り、神と交信して政治的な指導や決定を行うことが特徴です。 卑弥呼はこの能力を持っていたために女王として選ばれたと考えられています。また、かつてはシャーマン的な役割を果たしており、その起源は卑弥呼にまで遡るという説もあります。このように卑弥呼のリーダーシップは彼女の霊的な能力に大きく依存していたと言われています。
ちなみに卑弥呼に関する情報は、日本の歴史書には一つも記述がなく、中国の古典『三国志』に含まれる「魏志倭人伝」に記されています。「疑似倭人伝」には倭人(日本人)の様子が詳しく書かれており、卑弥呼が魏に使い手を送り、「親魏倭王」という称号と金印を賜ったことが記載されています。
卑弥呼の死因
それでは本題の卑弥呼がなくなった原因について迫っていきましょう。冒頭にも紹介したように卑弥呼の死因について触れた文書は存在していません。しかし間接的に触れている個所はあります。疑似倭人伝では卑弥呼が亡くなったとされる248年にこのように記載がありました。
「倭女王卑弥呼、与狗奴国男王卑弥弓呼素不和。遺倭載斯、烏越等詣郡、説相攻撃状。遣塞曹掾史張政等、因齎詔書、黄幢、拝仮難升米、為檄告諭之。卑弥呼以死、大作冢。徑百餘歩、殉葬者奴碑百餘人。」
上の文章を訳すと下のようになります。
倭(現在の日本)の女王である卑弥呼と、同じく倭の狗奴国の男王、卑弥弓呼は通常仲が悪かった。倭は載斯や烏越という人物を、現在の韓国ソウル付近にあった帯方郡に派遣し、戦況を報告させた。一方、中国の魏は塞曹掾史という役職の張政などの使節を派遣し、難升米という役人に皇帝からの書状と黄色い旗を渡して、平和のお触れを発布させた。魏志倭人伝によると、卑弥呼はある時点で亡くなったが、その正確な年は記録されていない。彼女のために直径約100歩の大きな墓が作られ、約100人の奴隷が墓に供えられたとされている。
卑弥呼の死について直接触れている文書は疑似倭人伝のこの箇所だけです。このように直接的な死因については248年付近に亡くなったこと以外は記載がないのです。
ここから卑弥呼の死因として考えられている説を4つ紹介します。どれも有力な説なのでぜひチェックしていきましょう。
皆既日食により巫女としての素質を疑われた説
古代日本の女王卑弥呼の死には数多くの謎がありますが、最近の一つの学説では、彼女の死が皆既日食と関連しているとされています。西暦248年の9月5日には、日本で皆既日食が発生しました。この天文現象は、太陽が突然暗闇に包まれることにより、日食の原理を知らない当時の人々を深い恐怖に陥れたことでしょう。卑弥呼はシャーマンであり、占いが時であれば当然このような超常現象は予測できたはずです。しかし予期しないこの突然の暗闇は、邪馬台国内で大きな混乱を引き起こしました。また卑弥呼がこの超常現象を引き起こしたのではないかという声も上がりました。
このような皆既日食による混乱が卑弥呼の死に直接関連していると考えられています。この皆既日食により卑弥呼の占いを用いて統治するものとしての資質への疑い、または卑弥呼が引き起こした陰謀ではないのかという説から、結果として彼女が暗殺されたとの説を展開しています。
さらに、この事件が後世の神話、特に古事記に登場する天照大神が天岩戸に隠れた伝説に影響を与えたとも言われています。天照大神は太陽神であり、彼女が隠れたことで世界が暗闇に包まれたとされるこの神話は、卑弥呼の事件と酷似しています。
箸が陰部に刺さったからという説
また意外かもですが、卑弥呼はエクスタシーを感じながら亡くなったというとんでもない説もあります。卑弥呼は実は倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)という第7代孝霊天皇の娘ではないかとも考えられているのです。名前の「トトヒ」が「鳥飛び」と書き、鳥のように飛びやすい、つまりシャーマンのトランス状態になって意識が飛びやすい人なのではないかという説から来ています。卑弥呼はシャーマンを扱える数少ない人物であったので、トランス状態になれるのは卑弥呼しかいないのではという理論です。
このような説と合わせて日本書紀に倭迹迹日百襲姫命については下のような物語があります。
昔々、倭の国に倭迹迹日百襲姫という美しい姫がいました。彼女は大物主神と結ばれたが、この神はいつも夜だけ現れ、昼間は姿を見せませんでした。ある晩、姫は神に願いました。「あなたの顔が見えないのです。どうか朝まで留まり、その麗しい姿を私に見せてください。」
大物主神は姫の願いを聞き入れ、「よし、分かった。明日の朝、君の櫛笥の中にいよう。だが、驚かないでほしい」と応じました。姫は不思議に思いつつも、朝を待ちわびました。
朝日が昇ると、姫はゆっくりと櫛笥を開けました。すると、そこには衣紐ほどの大きさの、美しい小蛇が潜んでいました。驚いた姫が思わず叫ぶと、小蛇はたちまち人の形に戻り、大神は言いました。「私に恥をかかせたな。しかえししてやる」と言い残し、大空を駆け上がり三輪山に登っていきました。
その姿を見た姫は深く悔い、座り込んだ拍子に箸で自らの陰部を突いてしまい、そのまま息を引き取りました。人々はその悲しみを忘れず、彼女の墓を「箸墓」と名付け、昼は人が造り、夜は神が造り上げました。また、大坂山からは石材を手渡しで運び、その墓を完成させました。
日本書紀
こうして実際に「箸墓」である箸墓古墳という下の写真の古墳に倭迹迹日百襲姫命が埋葬されています。なんとも興味深い日本書紀の逸話ですが、これが本当に卑弥呼だったらなんとも可哀そうな最期だったかと思います。
戦死説
邪馬台国の女王、卑弥呼の死に関して、彼女が戦闘中に命を落とした可能性を指摘する説も存在します。この説によれば、卑弥呼が率いる邪馬台国と、南に位置する狗奴国との間で激しい敵対関係があったことがその背景にあります。
邪馬台国と狗奴国は長い間、互いに敵対しており、この対立が卑弥呼の死の大きな要因の一つであるとされています。歴史家たちの中には、卑弥呼が魏への使者を派遣したのも、狗奴国との戦いで苦境に立たされており、魏からの支援や正統性の確認を求めたためだと考える人々もいます。
さらに、魏の使者である張政が新たな王の擁立を要求したという記録があることから、卑弥呼が政治的な理由で命を落としたとする見方もあります。この要求が、彼女の死に直接的な圧力を加えたと考えられています。一部の歴史家は、狗奴国との戦いの最中に戦死したとも考えています。
卑弥呼の死については多くの説がありますが、戦争が直接的な原因である可能性を指摘するこれらの見解は、古代日本の政治的な複雑さと、女王が直面した困難を浮かび上がらせます。彼女の死は、古代日本の歴史の中で重要な転換点となったのです。
老衰説
卑弥呼のの死については様々な説がありますが、一つの見方として、卑弥呼が自然な老衰により亡くなったとする考えも存在します。
『魏志』倭人伝では、卑弥呼の年齢が「長大」と表現されており、これがどのように解釈されるかには複数の見解があります。一部の学者はこれを「年をとった女性」と解釈し、卑弥呼がかなりの高齢であったことを示唆しています。他の説によれば、「成人女性」としての成熟を意味するとも考えられ、また別の見解としては彼女が30歳を超える中年期にさしかかっていたともされます。これらの解釈は、卑弥呼が邪馬台国連合の盟主となった時、既に若くはなかったことを示しています。
老衰による死という見方は、卑弥呼が平和な状況下で自然死したことを意味します。この説によれば、彼女の死に戦争や暗殺といった外的な暴力は関与しておらず、単に高齢による生命の終焉が訪れたとされます。古代の権力者としては珍しく、彼女は自然な方法でこの世を去った可能性が高いとされ、これが卑弥呼の治世の平和な終わりを象徴しているとも解釈されています。
卑弥呼の年齢や死因についての具体的な記録は不明瞭ですが、『魏志』倭人伝に記された「長大」という表現から、彼女が比較的長命であったと考えることは合理的です。このように自然な老衰による死は、彼女が穏やかな晩年を迎え、その死が邪馬台国内での急な権力闘争を引き起こすことなく、スムーズな後継者への移行を可能にしたことを示唆しています。この視点から見ると、卑弥呼の死は古代日本の歴史において、一つの穏やかな節目となったのかもしれません。
まとめ
いかがでしたでしょうか。今回卑弥呼の死因について紹介していきました。正確な死因は判明していないものの、皆既日食や戦死、箸、そして老衰という4つの説が存在していて、どれも信ぴょう性があります。こうした背景を知ったうえで歴史の教科書を読むとまた違った角度から歴史を楽しめそうですね。
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