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皆さん、天狗をご存じでしょうか。長い鼻に赤い怖い顔。日本人であれば天狗のお面は誰しも一度は見たことあるかと思います。また傲慢な人のことを「天狗になっている」と揶揄する諺も多くの人に使われていますよね。このように日本人に滲みのある天狗は河童、座敷わらしと並び日本三大妖怪の一人でもあります。
しかし元々天狗とは日本の妖怪ではないことをご存じでしたでしょうか。また古くからある今のような天狗のイメージが定着したのが江戸時代以降と以外と歴史が浅いことご存じでしょうか。今回は天狗の正体としかし元々天狗とは日本の妖怪ではないことご存じでしたでしょうか。また古くからある今のようなイメージが定着したのが江戸時代以降と以外と歴史が浅いことご存じでしょうか。今回は天狗の正体と意外と知られていない天狗の由来と天狗の種類を紹介してきます。
天狗の正体
天狗とは日本の伝承に存在する妖怪です。赤い顔に長い鼻に翼が生えていて空を飛ぶことができたと言われています。天狗がどのような妖怪なのかについては実は歴史とともに解釈が変わっています。
天狗の由来
元々天狗の由来は日本ではなく中国にあります。中国では隕石が大気圏に突入する際の音が犬の吠える鳴き声に似ていたことから、天の狗(いぬ)、つまり天狗と名付けられるようになりました。そのため中国や台湾では今でも天狗といえば犬のように描かれています。
平安時代では天狗は人を騙す存在として認識
そんな天狗が日本で伝承されるようになったのは7世紀からです。『日本書紀』によると、637年に大きな星が流れ、その音が雷のようだったとされます。この現象について、遣唐使として中国留学経験のある僧侶・旻が「これは流星ではなく天狗である」と語りました。中国では天狗(流星や隕石)は戦乱の前触れとされており、『日本書紀』にもまさに同年の蝦夷の反乱が記されています。しかし、日本では流星としての天狗のイメージは定着せず、「あまつきつね(天のきつね)」と和訳され、10世紀から人を騙す妖怪として認識されるようになりました。『源氏物語』にも天狗が登場します。平安時代後期から中世にかけて、天狗は鳥、特にトビに似た姿で描かれるようになり、『今昔物語集』には天狗の話が多数収録されています。
平安時代後期からは「魔」としての鳥の姿をした天狗へ
鳥の姿をした天狗は、仏法の敵である「魔」としてのイメージも持つようになりました。ブッダが悟りを開こうとした際に妨害した「魔」に例えられ、僧侶の修行を妨げる存在とされました。また権力争いで敗れた高僧が恨みを抱いて天狗に変わるという考えも生まれました。これは高僧が堕落し、天狗として闇に落ちることを象徴しています。 14世紀の南北朝時代には、政治の不安定さから天狗が戦乱の予兆と見なされるようになり、これは中国の天狗の元来の意味への回帰と言えます。『太平記』には天狗が登場し、天下の乱れを暗示する星「妖霊星」と結びつけられています。また、この時期には不思議な現象が起こると天狗の仕業とされ、14~16世紀の日本では天狗が妖怪界の代表的存在となりました。
江戸時代になり鼻高の天狗へ
江戸時代に天狗のイメージは大きく変化し、鳥型から鼻高の天狗が主流になりました。この変化の理由は完全には分かっていませんが、狩野元信が初めて鼻高の天狗を描いたという説があります。元信は夢に現れた怪しい姿を元に天狗を描いたとされますが、この話の真偽は不明です。また、鼻高の面は古くから芸能で用いられていましたが、これが天狗のイメージに影響を与えた可能性もあります。
さらに江戸時代には天狗は妖怪から神に近い存在へと変わり信仰されるようになりました。特に著名な天狗にはそれぞれ名前が付けられています。例えば、愛宕山の「太郎坊」、秋葉山の「三尺坊」、鞍馬山の「僧正坊」(鞍馬天狗)、比良山の「次郎坊」などです。他にも、比叡山の「法性坊」、英彦山の「豊前坊」、筑波山の「法印坊」、大山の「伯耆坊」、葛城山の「高間坊」、高雄山の「内供坊」、富士山の「太郎坊」、白峰山の「相模坊」などが知られています。これらの天狗は各地の山に関連付けられ、それぞれ独自の信仰を集めています。
天狗の種類
次に有名な天狗について紹介していきます。日本を代表する天狗として日本八大天狗がいますので、それぞれ紹介していきます。
愛宕山太郎坊
愛宕山太郎坊は、京都の愛宕神社を仏守護する代表的な天狗で、三千年前にの命によりこの任に就いたとされます。また、1177年の京都大火は太郎坊が起こされ、「太郎焼亡」と呼ばれています。『太平記』にも登場し、能「車僧」では仏法に負ける役目を演じています。愛宕山の由来に関連する伝説では、太郎坊が多くの天狗を重視する姿が描かれています。
鞍馬山僧正坊
鞍馬山僧正坊は鞍馬山の鞍馬寺に伝わる天狗で、源義経(牛若丸)に剣術を教えたことでも有名です。皇太后の病を治すために権僧正となりましたが、突然鞍馬山の僧正ヶ谷へ庵を結んで幽閉してしまいました。867年に一人で沖を目指していましたが亡くなってしまいましたが、その法力をたたえて鞍馬山僧正坊として祀られています。
比良山次郎坊
比良山次郎坊は、愛宕山太郎坊の弟分とされ、比叡山の大天狗でした。 しかし、最澄ら延暦寺の法力の強い者の影響で比良山へ移動したと言われています。 『物語』に登場し、その乱暴な行動が描かれています。例えば、讃岐の国の万能ノ池の竜に襲いかかった、比良山の僧や竜に暴力をふるったりする描写があります。
飯綱三郎
飯綱三郎は長野県飯綱山に住む天狗で、東日本を代表する存在です。 「天狗の麦飯」を配り、命を救ったと伝えられています。 飯縄権現と同体とされ、火伏せの神としても知られています。 カラス天狗が白狐に乗る姿で表現されることもありますこの信念は戦国時代の武将にも広まりました。
相模大山伯耆坊
相模大山伯耆坊は、神奈川県伊勢原市の大山阿夫利神社と関連が深い天狗です。 元々は鳥取県の伯耆大山に住んでいたが、相模大山の守護神として移されたとされます。参拝の人々や富士講行者によって特に信仰され、彼らの唱文その名が登場します。大天狗としての役割にも立ち、地元の信仰文化に大きく注目しています。
彦山豊前坊
彦山豊前坊は福岡県と大分県の境にある英彦山に祀られる天狗で、九州天狗の中心的存在です。 彼は欲望深い人々に対して真摯に向き合い、正しく信仰を持つ人々の願い天照大神の子とされ、役行者の修行を祝福するために現れて伝えられています。
大峰山前鬼坊
前鬼と後鬼は、修験道開祖の役小角に従事していた夫婦の鬼で前鬼が夫で後鬼が妻です。この前鬼は前鬼坊となり、日本八大天狗の一尊とされています。
もともとは人々に悪さをしていましたが役小角に捉えられ、彼らの5人の子供の末子を鉄釜に隠して悪事をしないよう改心するよう言われました。これで改心した前鬼後鬼は役行者に従うようになり、夫婦の後鬼とともに山を歩き回り、その身の回りの警護及び山の治安維持に努めた。
白峰山の相模坊天狗
白峰山の相模坊天狗は、神奈川県の丹沢相模大山に住んでいますが、崇徳上皇の霊前に仕えるために白峰に移動したとされています。霊域を守護することで、天狗界に関して重要な地位を確立しました。 彼の物語は「保元物語」「雨月物語」「源平盛衰記」などに登場します。
石鎚山法起坊
石鎚山法起坊は、大天狗の一狗として数えられる存在で、役行者、または役行者の師がその名を持つとされています。せのためほど力を持っていると言われています。そのため、天狗の中でも特別な地位にあるとしています。
まとめ
いかがでしたでしょうか。天狗の正体や由来、種類を紹介してきました。特に天狗の由来には様々な歴史があり、時代とともに人々の天狗への考え方が変わっていくさまが面白かったですね。
日本には天狗以外にも様々な歴史を持つ妖怪がいます。本サイトではそのような面白い日本の妖怪も紹介しています!興味を持った方はぜひ他の記事も読んでみていただけますと幸いです!
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