皆さん、日本の幽霊に足がない理由をご存じでしょうか?今まで当たり前に足がないことを当たり前に受け入れてきたかもしれませんが、言われてみれば一体なぜ足がないのか不思議ですよね。ろくろ首や河童、天狗など妖怪には足はありますし、海外の幽霊やゾンビには足があります。ハリーポッターの映画に登場するゴーストを見てもらえば足があることがわかります。
一体なぜ日本の幽霊には足がないのでしょうか。今回は日本の幽霊に足がない理由を紹介していきます。
江戸時代に円山応挙が描いた足がない幽霊画が流行したから
日本で足がない幽霊が流行った原因として最も有力なのが江戸時代の天才絵師・円山応挙(まるやまおうきょ)が描いた足がない幽霊画といわれています。この半透明で足がないにもかかわらず幽霊として美しく描かれているギャップは当時の人々に衝撃を与え大人気となり、最終的には国宝になっています。
この絵はもともと弘前藩家老森岡主膳元徳が相次いで亡くした妻と妾を供養するために久渡寺に絵を贈呈したいと円山応挙に依頼したことから始まります。亡くなった妻と妾を供養するための絵として円山応挙は幽霊を描くことにしました。当時は反魂香という、その香を焚くと亡くなった人の魂が帰ってくるという伝説上のお香があることが知られていました。お香を焚いた際に身体の下の方が煙で隠れてしまうことを円山応挙はイメージしたため足を描かなかったと言われています。あるいは夢で幽霊が出てきてしてしまい、慌てて書いたから足が描けなかったとも言われています。
なぜ幽霊画が流行ったのか
それでは一体何故幽霊画が流行ったのでしょうか。円山応挙が描いた足がない幽霊画をきっかけに数多くの幽霊画が流行することになります。幽霊画が流行った理由は二つあると考えられています。
一つ目が死者を供養するためです。円山応挙が実際に供養のために描いたように死者である幽霊の絵画は現世に生きる人たちと亡くなった死者たちを繋ぐ接点でもありました。幽霊画は描かれている亡くなった人たちを思い出して懐かしむ盆供養の場でもあったのです。そのような背景で円山応挙が実際に描いて贈呈したように、数多くの寺院で幽霊画が飾られることになりました。
2つ目は縁起物として描かれていましたからです。当時幽霊画はかなり珍しくインパクトがある絵画だったので、幽霊画を生で見たい人々が数多くいました。そうした当時の人々の深層心理を利用して幽霊画をお店に飾ることで人々が殺到し、商売繁盛につながったと言われています。また幽霊画が飾られていることで泥棒も縁起が悪いと感じて金銭や商品が盗まれることが減ったと言われています。お客さんを引き付け、泥棒を遠ざける。このような商売繁盛の縁起物として幽霊画は飾られていたケースもありました。
まとめ
いかがでしたでしょうか。日本の幽霊に足がない理由を紹介していきました。円山応挙が反魂香による影響や急いでいたかで足がない幽霊を描き始めたことがきっかけでした。また幽霊画は非常に人気で死者を思い出して懐かしむ場として機能したり、商売繁盛のためにも機能していました。このようになぜ幽霊に足がないのかという疑問一つで当時の人々の様々な心理や文化まで見ることができました。こうして歴史の疑問を紐解いていくことの楽しみが少しでも伝われば幸いです。
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