1. 日本を知る

  2. 日本画

  3. 庭園

  4. 抹茶

  5. 宗教

  6. 外交

  7. 建築

  8. 花魁

  1. 飛鳥時代

  2. 古墳時代

  3. 弥生時代

  4. 縄文時代

  5. 旧石器時代

  1. 東京

  2. 大阪

  3. 鎌倉

  4. 京都

  1. 鎌倉の銭洗弁財天宇賀福神社とは?歴史やなぜお金を洗うのか・いくら洗えばいいのか紹介!

  2. 安井金毘羅宮で死んだ実話がある!?呪い返しやお祈りする際の注意点を紹介

  3. 安井金毘羅宮で生理痛の解消を願うとヤバい!?思わぬ形で叶う願いの代償と注意点を紹介!

  4. 上杉謙信は何した人か簡単な年表、死因、性格やエピソードを紹介

  5. 呪い・生霊返しの護符は危険!その理由と安全な対処法

  6. 武田信玄は何した人か簡単な年表、死因、性格やエピソードを紹介

  7. 神社を怖いと感じるのはなぜ!?スピリチャル・物理的な視点から見た神社

  8. 有名な麻布七不思議とは!?

  9. 金運アップのために財布に入れた方が縁起がいいもの悪いものを紹介

  10. 招き猫のポーズや色の意味は?由来や発祥地を紹介

  11. 京都の金運アップのご利益がある神社を紹介!おすすめのお守りや絵馬も合わせて紹介!

  12. 東京の金運アップのご利益がある神社を紹介!おすすめのお守りや絵馬も合わせて紹介!

第二次世界大戦

なぜ原爆は広島と長崎に落とされたのか?候補だった京都に落とされなかった理由も紹介

日本人にとっても決して忘れられない原爆。広島と長崎に原爆が落とされた8月6日と8月9日は日本人の記憶から決して消えることのない2日ですが、そもそも一体なぜ広島と長崎が選ばれたのかご存じでしょうか。第二次世界大戦末期、アメリカが原爆投下の都市を選定する際、どの都市が選ばれ、なぜ他の都市が外れたのか、その背景には複雑な戦略と判断がありました。

実は京都や横浜も候補だったのに最終的には外れたのです。広島や長崎が選ばれた一方で、京都や横浜、新潟はどのような理由で候補から外されたのか。日本人が忘れることが出来ない原爆が落とされた都市の選定の理由に迫っていきます。

原爆投下都市の候補に選ばれた広島、京都、小倉、横浜、新潟

第二次世界大戦末期、アメリカは原爆投下の都市を慎重に選定しました。戦争の終結を早めるため、この新兵器の威力を最大限に引き出す都市はどこなのか。選ばれた都市と外された都市の背後には、どのような戦略的判断や議論があったのでしょうか。その過程を詳しく探ることで、歴史の裏側に迫ります。

広島

(画像引用: Dive Hiroshima)
  • 陸軍の重要補給基地である
  • 都市工業地域の中心に位置する物資積出港
  • レーダーの目標設定が容易
  • 広範囲に損害を与えられる都市
  • 隣接する丘陵地が爆風の被害を拡大

京都

  • 人口100万人を有する大規模な工業都市
  • 日本の知的中心地
  • 住民が原爆の威力を理解しやすいと考えられた

小倉

  • 日本最大の造兵廠がある
  • 都市産業地域に囲まれている
  • 爆風による効果的な損害が期待された

横浜

  • 重要な工業都市である
  • 航空機や工作機械、電気設備の製造が行われる
  • 工業活動の中心地
  • 東京の被害が増す中、新たな工業が移転

新潟

  • 本州西北海岸に位置する物資積出港
  • 工業や精油所、倉庫が集中している
  • 工場疎開の受け皿となる潜在的な可能性がある

なぜ小倉ではなくて長崎になったのか

(画像引用: 長崎市公式観光サイト)

当初、小倉は原爆投下の候補地として選ばれていました。日本最大の造兵廠があり、都市産業地域に囲まれているため、爆風による効果的な損害を与えられると考えられていました。しかし、8月9日の朝、小倉上空は視界不良で目標を確認できず、B29爆撃機は代替目標である長崎に向かい、原爆を投下しました。この視界不良の原因には諸説ありますが、前日の八幡大空襲の煙が影響したとされています。

京都に落とされなかった理由

実は京都は、当初から有力な候補地とされていました。人口100万人を有する大規模な工業都市であり、日本の知的中心地として、原爆の威力を理解しやすいと考えられました。しかし、京都は千年以上にわたる日本の古都であり、文化的・歴史的価値が高いことから、戦後の日本占領において日本人の協力を得るために攻撃を避けるべきだとの判断がありました。陸軍長官ヘンリー・スティムソンの反対もあり、最終的に候補から外されました。

新潟に落とされなかった理由

(画像引用: HUFFPOST)

新潟も原爆投下の候補都市の一つでした。本州西北海岸に位置する物資積出港で、工業や精油所、倉庫が集中していました。しかし、アメリカ軍の資料によると、新潟は工業地区と居住地域が遠く離れており、原爆の効果を最大限に発揮するには不適当であると判断されました。そのため、新潟は最終的な候補から外されました。

ちなみに新潟は広島と長崎に原爆が落とされ、新潟も投下の候補都市に入っている噂を聞きつけ、当時の知事が原爆疎開を命じました。そのため当時の新潟はゴーストタウンになり、仮に原爆が投下されていたとしても人的被害は広島や長崎よりも抑えられていたかもしれません。

東京に落とされなかった理由

東京は日本の政治的・軍事的中心地であり、重要な目標とされましたが、既に大規模な空襲を受けていたため、新たな目標地を選ぶ必要がありました。広島と長崎は比較的破壊が少なく、原爆の被害をより効果的に評価できると考えられました。また、東京は被害が広範囲に及ぶ可能性があり、原爆の効果を最大限に示すためには適していないと判断されました。これらの理由で、東京は候補から外されました。

横浜に落とされなかった理由

(画像引用: カナコロ)

横浜は重要な工業都市であり、航空機や工作機械、電気設備の製造、ドックや精油所が存在しました。しかし、横浜は5月28日に原爆投下の候補から外され、その翌日には焼夷弾による大規模な空襲を受けました。この速やかな攻撃は、目標委員会の要請には拘束力がなく、戦略爆撃部隊の計画に基づいて行動した結果とされています。第21爆撃機集団の司令官カーチス・ルメイは、横浜のような重要な都市を爆撃せずに放置することに同意せず、自分たちの手で攻撃することを選んだとされています。このため、横浜は原爆投下の候補から外れた翌日に大規模な空襲を受けました。

まとめ

いかがでしたでしょうか。今回は原爆投下の都市がどのように選ばれたのか紹介してきました。原爆投下都市の選定は、戦略的判断と様々な議論を経て決定されました。広島と長崎が選ばれた一方で、京都や横浜、新潟はそれぞれ異なる理由で候補から外されました。これらの選定基準や決定には、戦後の日本占領を見据えた計算や新兵器の効果を最大限に示すための戦略が絡んでいました。都市の選定過程を振り返ることで、当時のアメリカの戦略的意図とその背景が浮かび上がります。歴史の裏側には、複雑な判断と決断があったことがわかります。

本サイトでは原爆が落とされた都市の選ばれ方以外にも様々な日本の歴史や文化を紹介しています。もし興味ある方はぜひ他の記事も読んでいただけると幸いです!

この記事へのコメントはありません。

※当サイトはアフィリエイト広告を利用しています

※当サイトはアフィリエイト広告を利用しています

カテゴリー