縁起物として有名な招き猫ですが、実は上げている手が右手か左手かで意味が異なることご存じでしょうか?また色によって意味合いが異なることご存じでしょうか?このように今や私たちの生活に溶け込んでいる招き猫も挙げている手や色が少し違いだけで意味合いが異なってきてしまうのです。今回はそんな意外と知らない招き猫のポーズや色、また由来や起源について紹介していきます。
招き猫のポーズ別の意味
招き猫は、日本の伝統的な縁起物であり、幸福や繁栄を招く象徴として広く知られています。その特徴的な姿は、片手を挙げて人や福を招いている猫で、多くの家庭や店舗、特に商売を営む場所で見かけることができます。
招き猫は、江戸時代にその起源を持つと言われ、長い歴史を通じて、商売繁盛や金運向上、家庭円満などの願いを込めて用いられてきました。
招き猫には、上げている手の違いによって異なる意味があるとされており、選ぶ際のポイントとなります。
右手を上げている招き猫
右手を上げている招き猫は、主に金運を招くとされています。財運や商売の繁栄を望む方に適しており、特に金銭的な成功を願う場面で見かけることが多いです。
左手を上げている招き猫
左手を上げている招き猫は、人を招く力があるとされます。そのため、飲食店やサービス業など、人を集めたい場所で使われることが一般的です。多くの客を引き寄せたい場合に、この左手を上げた招き猫が効果的とされています。
両手を上げている招き猫
両手を上げた招き猫は、人も金運も両方を招くと考えられています。しかし、「お手上げ」に通じるとして、商売人の間では避けられることもあります。個人で使用する分には問題ありませんが、他人への贈り物としては慎重に選ぶのが良いでしょう。
また、手を上げている高さにも意味があり、高く上げている手ほど、より遠くから福や人を引き寄せると言われています。商売をしている方は、自分の求める運や客層に応じて最適な招き猫を選ぶと良いでしょう。
このように、招き猫は単なる装飾品ではなく、古くから人々の願いを託されてきた特別な存在です。その持つ意味を理解し、適切に選ぶことで、さらなる幸福や繁栄を引き寄せることができるでしょう。
招き猫の色の意味
招き猫には、体の色にも特別な意味が込められています。よく見かける三毛、白、黒の招き猫は、それぞれ異なる運や効果を象徴しており、自分に合ったものを選ぶ際の重要なポイントとなります。
三毛の招き猫
三毛模様の招き猫、つまり三宅猫による招き猫は、特に運を引き寄せる力が強いとされています。というのも三宅猫自体がかなり珍しい種類だからなのです。このため、幸運を呼び込みたい方にぴったりの招き猫です。
白い招き猫
白い招き猫は、純粋さや清潔さを象徴し、福を招くとされています。幸福や繁栄を願う際には、この白い招き猫が良いお守りとなるでしょう。
黒い招き猫
黒い招き猫は、厄除けや魔除けの力があるとされます。邪気を払いたい、悪運を遠ざけたいという方には、この黒い招き猫が最適です。
赤い招き猫
赤色には、昔から病気や災厄を遠ざける力があると信じられてきました。特に、天然痘をもたらす疫病神である疱瘡神(ほうそうしん)は赤色を嫌うとされ、赤い色が魔除けの色として用いられてきました。このため、赤い招き猫は健康を守り、長寿を願う方に選ばれることが多いのです。
近年では、金運を招くとされる金色の招き猫や、恋愛運や結婚運を引き寄せるとされるピンク色の招き猫も登場しています。招き猫を選ぶときには、あなたが求める運や効果に応じた色を選ぶと良いでしょう。もちろん、見た目やデザインが気に入った色を選ぶのも素敵な選び方です。
招き猫の由来や期限
招き猫の発祥については、さまざまな説が存在しており、正確な起源は未だに明らかになっていません。猫が毛づくろいをする姿が、手招きしているように見えることから、「福を引き寄せる」として広まったという説や、かつて猫がネズミを駆除する役割を果たしていたため、猫がいる家には福が訪れるという考え方が背景にあるとされています。
招き猫の原型は江戸時代の末期に誕生したとされており、日本各地にその発祥にまつわる興味深い伝承が残っています。ここでは、特に有名な5つの説を紹介します。
1. 豪徳寺説(東京・世田谷)
世田谷区にある豪徳寺は、招き猫の寺として広く知られています。昔、荒れ果てた貧しい寺だった豪徳寺に、鷹狩りの帰りに訪れた彦根藩の藩主、井伊直孝が手招きする猫に導かれ、寺で休息を取ると、直後に激しい雷雨が降り始めました。直孝は、猫のおかげで雨に濡れることなく、また和尚の説法も聞くことができたことに感謝し、寺を井伊家の菩提寺と定め、豪徳寺は大いに栄えたと言われています。
2. 自性院説(東京・新宿)
室町時代、戦いに敗れて道に迷った武将、太田道灌が、黒猫に導かれて新宿の自性院へと辿り着きます。その後、道灌は無事に命拾いし、後の戦いで大勝利を収めます。道灌は、黒猫の死後に供養のために猫地蔵を建立し、これが招き猫の由来とされています。現在でも、自性院の境内には猫地蔵が祀られ、招き猫発祥の地として知られています。
3. 今戸神社説(東京・浅草)
江戸時代末期、浅草の今戸町で貧しさに苦しんでいた老婆が、夢に現れた猫の指示で猫の形をした今戸焼を作り、それを浅草神社の参道で販売しました。その焼き物が評判となり、老婆は貧しい生活から脱することができました。この今戸焼が、招き猫の始まりだとする説もあります。今戸神社は、現在では良縁祈願や恋愛成就で有名ですが、招き猫の社ともされ、たくさんの猫が祀られています。
4. 西方寺説(東京・巣鴨)
かつて浅草にあった西方寺に住んでいた薄雲という花魁が、三毛猫「玉」を大切にしていました。ある日、玉が薄雲の厠への移動を妨げたため、主人は玉を化け猫と誤解し、その首をはねてしまいます。首は飛び、大蛇をかみ殺して薄雲の命を救いました。その後、薄雲は玉の供養のために猫塚を建て、猫の像を作り始めました。この猫の像が浅草で縁起物として広まり、招き猫の原型となったという説があります。
5. 伏見稲荷大社説(京都・伏見)
京都の伏見稲荷大社周辺では、古くから「伏見人形」と呼ばれる土人形が作られていました。江戸時代後期には、これらの人形が土産物として人気を博し、その中でも「招き猫」の土人形が特に好評を得ました。この伏見人形の招き猫が愛知県・瀬戸に伝わり、瀬戸焼の招き猫のルーツとなったとされています。
これらの伝承は、招き猫がどのようにして縁起物としての地位を確立したかを物語っており、地域ごとに異なる歴史と文化が息づいています。どの伝承も、猫が福を招く存在として大切にされてきたことを示しており、今日の招き猫の象徴的な存在へと繋がっているのです。
まとめ
いかがでしたでしょうか?今回紹介してきたように、招き猫は、古くから日本で福を招く象徴として大切にされてきた縁起物です。その起源には諸説あり、猫が手招きする姿が福や人を引き寄せると考えられています。色や手の違いによって異なるご利益があり、選ぶ際の参考になります。商売繁盛や健康、恋愛成就など、自分の願いに合った招き猫を選ぶことで、さらなる幸運を引き寄せられるでしょう。
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