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皆さん、日光東照宮へ訪れたことはありますでしょうか。江戸幕府を開いた徳川家康が祀られていることで有名な日光東照宮ですが、金色に壮大に輝く陽明門や見ざる聞かざる言わざるの三猿、眠り猫など見どころが満載です。そんな日光東照宮ですが、そもそも一体なぜ日光が選ばれたのでしょうか。また日光東照宮内に存在する無数の動物の彫刻には様々な意味が込められていることをご存じでしょうか。今回はそんな意外と知らない日光東照宮の歴史と見どころ、そして豆知識について紹介していきます。

日光東照宮の歴史

日光東照宮は日本の歴史や文化において特別な地位を占める神社であり、1617年(元和3年)に創建されて以降の歴史は、徳川家康とその後継者たちの意志に深く根差しています。家康は江戸時代の初代将軍であり、彼の生涯と遺言は日光東照宮の成り立ちに不可欠な要素です。

徳川家康は晩年、静岡県東部の駿河に居を構えており、彼は「死後一周忌を過ぎたら、日光山に祀りなさい」という遺言を残しました。家康は自らを動かない北極星に例え、日光山が江戸の真北に位置することから、死後も国を見守る存在であり続けたいと願ったのです。

この遺言に従い、2代将軍・徳川秀忠は日光山に簡素な神社を建立しました。しかし、その後、家康の孫にあたる3代将軍・徳川家光が約2年間の大規模な工事を行い、神社は現在見ることができる豪華な姿に生まれ変わりました。この改築は1636年に完成し、徳川家の権力と繁栄を世に示すものとなりました。

家光は祖父・家康を深く敬愛しており、自身の死後も家康に仕えるため、東照宮の隣に自分の墓を建てさせました。この行為は、家康への崇敬の念を象徴していると同時に、徳川家の連続性と結束を示すものでもありました。

また、日光東照宮の名前は、家康に対して天皇が贈った「東照大権現」の神号に由来しています。この神号は家康の偉業と彼が国に果たした役割を讃えるものであり、東照宮はその名を冠することで、彼の遺志を永遠に伝える場所となったのです。
(画像引用: ゆずた散歩)

日光東照宮の見どころ

陽明門

日光東照宮にある「陽明門」は、その壮麗な造形美と細部にわたる精緻な彫刻で知られ、日本で最も美しい門の一つとして名高い存在です。この国宝に指定された門は、中国の故事逸話や子供の遊びをテーマにした500を超える彫刻が施されており、その多様性と芸術性は見る者を圧倒します。これらの彫刻には、それぞれに物語や教訓が込められており、訪れる人々に無限の想像力と知的好奇心を刺激します。

陽明門の特徴は、その豪華な外観だけに留まりません。門を支える12本の柱の中で、1本だけが逆さまに取り付けられている「魔除けの逆さ柱」があります。この意図的に未完成にされた柱は、完成を意味する「完全性」が崩壊の始まりを象徴するという考えに基づいており、邪気を払い災いを避けるための装置とされています。また、門の頂上には「鬼瓦」が輝いており、これらは悪人が門の中に侵入することを防ぎ、敷地内の平和を見守っているとされています。

陽明門は2017年に平成の大修理が終了し、その輝きを一層増しています。修理によって彫刻の細部が鮮明になり、色彩もより鮮やかに蘇りました。この修復された陽明門は、日本の伝統建築と彫刻芸術の傑作を見る絶好の機会を提供しており、訪れる人々に深い感銘を与えています。
(画像引用: THE GATE)

三猿

日光東照宮には多くの見どころがありますが、その中でも特に興味深いのが神厩舎(しんきゅうしゃ)にある三猿です。神厩舎は、神様に仕える馬を納めるための施設として造られたもので、現在ではその独特な造りと彫刻で重要文化財として認定されています。神厩舎は徳川家康の愛馬が主に仕えるための場所として設けられ、自然のままの木材を使った素木造り(しらきづくり)で構築されています。この素朴な建築様式は、飾り気がなく落ち着いた雰囲気を醸し出しており、訪れる者に穏やかな感覚を与えます。

そして神厩舎には見ざる聞かざる言わざるで有名な三猿があります。実は三猿とはたくさんの猿の彫刻の一部を指しており、実際には16匹の猿が彫られています。これらの彫刻は、人生のさまざまな段階とそれに伴う教訓を表現しており、特に「聞かざる・言わざる・見ざる」の三猿は世界的にも知られる存在となっています。これらの彫刻は、幼少期における素直な心を育むことの重要性を示しており、慎ましやかな行動の指針を提供しています。

また、猿が馬を守る存在とされている伝承が、猿を題材とした彫刻が選ばれた理由であると考えられています。この信仰は、神厩舎がただの馬舎でなく、神聖な場所であることを強調しており、ここに納められる馬たちもまた特別な存在であるとされています。
(画像引用: KUROBOX)

眠り猫

日光東照宮、その豪華絢爛な彫刻群の中でも特に注目されるのが「眠り猫」です。この小さながらも印象深い彫刻は、奥宮への入り口である東回廊に位置し、訪れる人々を魅了してやみません。眠り猫はその名の通り、目を閉じて安らかに眠る猫を表していますが、観察者の立ち位置によっては目が開いているように見える独特の錯覚を楽しむことができます。

この彫刻の背後には、さらに深い意味が込められています。眠り猫の裏側には、2羽の雀が彫られており、これらの雀が戯れる様子は平和の象徴とされています。普通であれば猫は雀の天敵であるため、この彫刻は天敵同士が共存する理想的な世界、すなわち平和な社会を描いていると考えられています。

このユニークな彫刻は、謎に満ちた伝説の彫刻職人、左甚五郎による作品であるという伝承があります。左甚五郎はその卓越した技術と独創的な作品で知られ、彼の作品にまつわる伝説は今日でも多くの人々を魅了してやみません。
(画像引用: THE GATE)

東西回廊

日光東照宮にある「東西回廊」は、その壮大な長さと見事な彫刻で訪れる人々を魅了する国宝級の建築物です。陽明門から左右に伸びるこのコの字型の回廊は全長約220メートルに及び、屋根付きの廊下として機能しながら、同時に圧倒的な美術作品としての価値も持っています。

この東西回廊は平和への願いを込めて建造されたと言われ、その壁面には200以上の大彫刻が施されています。これらの彫刻は「透かし彫り」という技法で作られており、土台となる板をくり抜いて繊細な模様を作り出しています。特に注目すべきは、全ての彫刻が1枚の板から彫り出されている点です。これは、職人の卓越した技術と献身的な努力の証であり、日本の伝統的な技術の粋を集めたものと言えるでしょう。

東西回廊の彫刻には、花や鳥など自然を題材にしたものが多く、これらがまるで飛び出してくるかのような迫力を持って表現されています。また、彫刻に使われている色彩の鮮やかさは、見る者の目を楽しませるだけでなく、日光東照宮全体の華やかな雰囲気にも貢献しています。
(画像引用: 日光東照宮・御朱印)

御本社

日光東照宮の心臓部とも言える「御本社」は、その神聖さと建築的な美しさで知られています。本殿、石の間、拝殿が一体となったこの権現造り(ごんげんづくり)の建築は、東照宮内で最も重要な場所と位置づけられており、年間を通じて様々な祭典行事がここで執り行われています。

御本社は江戸時代の建築技術が惜しみなく投入された、日本有数の建築物です。その価値は計り知れず、国宝にも指定されています。この建物は、東照宮境内にある約2,468体の彫刻の約半数を有しており、その中には悪夢を食べて平和をもたらすとされる獏(ばく)の彫刻も含まれています。この獏の彫刻は御本社の特徴の一つであり、平和と安寧への願いが込められています。
(画像引用: 日光東照宮・御朱印)

五重塔

日光東照宮の象徴的な存在である「五重塔」は、その壮大な高さ36mで訪れる人々を迎えます。この重要文化財に指定されている塔は、その独特な建築技術と美しい装飾で知られており、日光の歴史的建築物の中でも特に注目される存在です。

五重塔の最も特筆すべき建築様式は、その心柱(しんばしら/中心の柱)を吊り下げるという方法です。この技術は、塔の構造的な安定性を高めるとともに、地震などの自然災害に対する耐性を向上させます。実際に、この五重塔は東日本大震災の際にも損害を受けなかったと報告されており、その精密な構造と安全性の高さが証明されています。

また、五重塔は建築様式においてもユニークな特徴を持っています。初層から4層までは伝統的な和様(日本風)のスタイルを採用していますが、最上層である5層目だけが唐様(中国風)の造りになっている点が珍しく、東西の文化が融合した独特の美を生み出しています。さらに、初層には十二支をモチーフにした彫刻が施されており、これらの彫刻は五重塔の装飾的な魅力を一層引き立てています。
(画像引用:ゆきとびたん)

三神庫

日光東照宮にある「三神庫(さんじんこ)」は、その名の通り「上神庫(かみじんこ)」、「中神庫(なかじんこ)」、「下神庫(しもじんこ)」の三つの建物を総称しています。これらは祭典行事で使用される貴重な道具を保管するための施設であり、その重要性から重要文化財に指定されています。

特に「上神庫」には、日光東照宮の三大彫刻と称される「想像の象」があり、この彫刻は多くの訪問者の注目を集めています。この象は、著名な画家である狩野探幽(かのうたんゆう)によって制作されました。探幽が実際に象を見たことがなく、想像で描いたとされることが「想像の象」という名前の由来となっています。この象は金色の牙を持ち、尻尾が三本あるなど、実際の象の特徴とは異なる点が多くあります。しかし、その絶妙な表現は見る角度によっては実際の象のように見える魅力を持っています。

三神庫の存在は、日光東照宮における祭典行事の重要性を物語っており、これらの建物とその中に保管されている貴重な道具たちは、日光東照宮の歴史や文化の一端を伝える重要な役割を担っています。また、「想像の象」をはじめとする彫刻作品は、日光東照宮の芸術性の高さを示す例としても価値があります。
(画像引用: まっぷる TRAVEL GUIDE)

叶杉

日光東照宮はその華麗な建築と、豊かな自然に囲まれた歴史的な場所として知られています。しかし、多くの訪問者が見逃してしまうかもしれない、一つの特別なスポットがあります。それが、「叶杉」です。この古木は、日光東照宮の奥宮に位置しており、樹齢600年を誇る巨木です。叶杉は、その名の通り、訪れた人々の願い事を叶えると言われているパワースポットなのです。

叶杉への道のりは決して容易なものではありません。訪れるには、207段もの長い階段を登る必要があります。この厳しい試練を乗り越えた先にあるのは、ただの巨木ではありません。叶杉は、中が空洞になっており、木のほこらとなっています。訪問者はこの空洞の中で祈願をすることで、自らの願いが叶うと信じられています。
(画像引用: ことりっぷ)

日光東照宮の豆知識

徳川家康はなぜ日光を選んだのか

徳川家康が自分を祀る場所として自信が過ごした土地でもない日光を望んだ理由には、複数の説が存在します。

一つの説は、家康が山岳信仰の霊場としての日光の歴史に敬意を払っていたことに起因します。日光は、鎌倉幕府を開いた源頼朝も寄進をしていた場所であり、家康は源氏の末裔を自称していました。そのため、日光の再興を図ることで、源氏への敬意を表し、自らの権威をさらに高めようとした可能性があります。

また、日光が江戸から見て北辰(北極星)の方角に位置していたことも、家康がこの地を選んだ理由の一つとされています。北辰は古来から安定と恒常性の象徴とされており、家康が日光に祀られることで、自らの治世が永続することを願ったとも考えられます。

さらに、家康は日光の壮大な自然と霊気を特別に感じ取っていたとも言われています。日光山を開いた勝道上人と同様に、この地の神聖さを深く理解し、自らもその一部となることで、泰平の世を願ったのかもしれません。
(画像引用: kkday)

陽明門の魔よけの逆柱

日光東照宮の陽明門は、その壮大な造りと美しい装飾で知られています。しかし、この門には一つ独特な特徴があります。それは、12本ある柱のうち一本だけが意図的に逆さまに設置されているという点です。この珍しい柱は「魔よけの逆柱」と呼ばれ、長年にわたり多くの人々の興味を引きつけています。

この逆柱は、陽明門を通り抜け終えた場所、北側(背面)の西から二本目の位置にあります。柱にはグリ紋様と呼ばれる美しい曲線の文様が施されており、中国の堆朱のデザインなどにも見られる装飾技法です。しかし、この一本だけが他の柱とは異なり逆さまになっています。

逆柱の設置には、「満つれば欠ける」という諺を象徴しているという説があります。この考えに基づくと、陽明門に意図的に不完全な柱を取り入れることで、完全さによって引き寄せられる悪い気を避け、魔除けの効果を期待していたと考えられます。つまり、この逆柱は、門とそこを訪れる人々を守るための意図的な設計であると言えます。

また、陽明門は未だ完成されていないとも言われています。この未完の状態もまた、完全さを避けることで悪を遠ざけるという思想に基づいているのかもしれません。
(画像引用: まっぷるTRAVEL GUIDE)

五重塔の干支彫刻

日光東照宮、その豪華絢爛な装飾と建築で知られるこの場所は、日本の文化遺産の宝庫として世界的に有名です。その中でも特に注目すべきは、美しい五重塔です。この塔は日光の地に立つ多くの見事な建築物の中でも、特に目を引く存在です。しかし、この五重塔の最も興味深い特徴の一つは、その第一層の壁に施された干支の彫刻にあります。

干支とは、十二の動物を用いて年を表す伝統的なシステムです。通常、これらの動物は子(ねずみ)から始まり、丑(うし)、寅(とら)と続きます。しかし、日光東照宮の五重塔においては、この伝統に一風変わったアレンジが加えられています。驚くべきことに、この塔の干支の彫刻は寅(とら)から始まり、そこから反時計回りに続いています。

このユニークな配置には、興味深い背景が存在します。それは、日光東照宮が奉納された徳川家と深い関連があるからです。実は、この塔の干支の始まりを寅にしたのは、徳川家康(干支:寅)、その息子の秀忠(干支:卯)、そして孫の家光(干支:辰)と、三代にわたる徳川将軍の干支が偶然にもこの順序で並んでいたためと言われています。このことから、五重塔の干支の彫刻は徳川家への敬意を表していると考えられています。

猫の彫刻が眠り猫のみの理由

日光東照宮には多くの見事な彫刻がありますが、中でも「眠り猫」は特別な存在として広く知られています。この猫の彫刻が他にない理由には、深い意味が込められています。眠り猫の彫刻は、東照宮の彫刻群の中で唯一の猫を表していることから、その存在自体が特別視されていると言えるでしょう。1体しか存在しないことは、何か特別なメッセージが込められていることを示唆しています。

そのメッセージを解き明かす鍵は、眠り猫の彫刻の性質と、その裏側に描かれた雀の彫刻にあります。一般的に猫は雀を捕食する存在ですが、この眠り猫は静かに眠っており、その裏には安心して遊ぶ雀が描かれています。この配置は、猫と雀が争わず共存している様子を表現しており、そこから平和への願いや共存の美徳を象徴していると考えられます。

眠り猫が平和のシンボルとされるのは、このようにして争いのない、誰もが共存できる理想の世界を表しているからです。日光東照宮におけるこの唯一の猫の彫刻は、訪れる人々に平和と調和の大切さを、静かに語りかけているのです。
(画像引用: 産経ニュース)

日光東照宮に多く見られるバクの意味

日光東照宮には、多数の霊獣が彫刻されていますが、その中でも特に注目されるのが「獏」です。獏は唐獅子や龍に次いで多く描かれている霊獣で、その独特な存在が訪問者の目を引きます。獏は「悪夢を食べる」とされる神秘的な生き物であり、そのため一種の厄除けとしての効果が期待されています。しかし、獏が食べるものには、悪夢だけでなく銅や鉄といった金属も含まれています。この特性は、獏が平和の象徴であることを示唆しています。

銅や鉄が豊富に存在する時代は、通常、武器の製造が必要ない、つまり争いがない平和な時代を意味します。獏が銅や鉄を食べることで生きていけるという伝承は、獏が生息できるのは平和な時代であることを象徴しているのです。そのため、日光東照宮に多くの獏が飾られているのは、徳川家康によってもたらされた天下泰平の世、そしてその平和が続くことへの願いが込められています。

実際、徳川家康によって始まった江戸時代は、幕末の動乱を除いて200年以上にわたり平和が続き、武器の製造に必要な金属が大量に消費されることはありませんでした。この事実は、獏の象徴する平和の願いが実現したことを示しています。

陽明門の唐子遊び彫刻

日光東照宮の陽明門には、一風変わった彫刻群があります。それは「唐子遊び」と呼ばれる、中国風の衣装や髪型をした子供たちが遊んでいる様子を描いた彫刻です。これらの彫刻は、単なる装飾を超え、深いメッセージを持って私たちに語りかけています。

「唐子遊び」の彫刻は、子供たちの無邪気な遊びを通じて、平和の価値を伝えています。戦国時代のような争いが絶えない時代では、子供たちが外で安心して遊ぶことは難しかったでしょう。そのため、子供たちが外で遊ぶこと自体が、平和な時代の象徴として捉えられているのです。日光東照宮の「唐子遊び」の彫刻は、訪れる人々に平和の大切さを思い起こさせるための象徴とも言えるでしょう。

また、「唐子」という題材の選択には、異文化への敬意と、神聖な場所にふさわしい演出を意図していると考えられます。唐子は中国の神仙世界や異世界を象徴する存在とされ、また日本から見れば異国の子供たちです。この異国情緒あふれる描写によって、日光東照宮という神聖な場所の雰囲気をより一層引き立てています。
(画像引用: 牡羊座の独り言)

三猿が意味していること

日光東照宮で最も有名な彫刻群の一つといえば、「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿です。多くの人がこの三猿を思い浮かべるかもしれませんが、実はこの三猿は、日光東照宮のご神馬をつなぐ厩に彫られている、もっと広い物語の一部であることをご存知でしょうか。厩の彫刻は8面にわたり、16匹の猿が様々なポーズで彫られており、これらの猿たちは人間の一生を風刺しています。

この彫刻群には深い意味が込められています。昔から猿は馬を守る存在とされており、それぞれの猿は人生の異なる段階を表しています。未来に夢を抱く青年期から始まり、何も不安がなかった時期を思い出させる猿、自分で決断し選んだ人生の道を歩む猿、挫折に悩む大人の時期を迎える猿、そしてうつむき落ち込む時に支えとなる友人や家族を象徴する猿。さらに恋に落ち、一生を共にするパートナーを見つける猿、そして人生のサイクルを示すお腹の大きな猿で締めくくられます。

これらの彫刻は、人生の大きな流れが母親のお腹の中から始まり、次の命へと繋がっていくというサイクルを象徴しています。日光東照宮の三猿は単なる格言を超え、人間の一生とその繰り返しを表現した壮大なストーリーを私たちに伝えています。
(画像引用: BUZZ FEED NEWS)

日光東照宮と久能山東照宮を結ぶ不死(富士)の道

日本の歴史において、徳川家康は最も重要な人物の一人とされ、彼を祀る二つの場所、日光東照宮と久能山東照宮は、それぞれが家康の遺志を受け継ぐ特別な意味を持っています。興味深いことに、これら二つの地点を直線で結ぶと、その線上に富士山が位置しています。この直線は「不死(富士)の道」とも呼ばれ、徳川家康の永遠性への願いを象徴しているとされています。

日光東照宮は、家康の神格化を象徴する場所であり、彼の偉大さを称えるために多くの人々が訪れます。一方、静岡県にある久能山東照宮は、家康の遺体が埋葬されている地であり、彼の人生の終わりとその遺産が受け継がれる場所として尊ばれています。

家康がこの二つの地点と富士山を結ぶ直線上に重要な意味を置いたとされる背景には、富士山が古来から「不死の山」としての信仰を集めてきたことがあります。富士山はその壮大な美しさと神聖さで知られ、不死や永遠の象徴とされてきました。徳川家康が「不死の道」を通じて永遠の存在になることを望んだという考えは、彼が死後も日本の歴史において不朽の存在となることを意図していたことを示しています。
(画像引用: 桑原政則のBlog)

まとめ

いかがでしたでしょうか。今回は日光東照宮の歴史や見どころ、豆知識について紹介してきました。江戸幕府を開いた徳川家康を祀るために開かれ、建築の装飾一つ一つに様々な意味が込められています。そうした背景を知ってから実際に訪れるとより違った角度から日光東照宮を楽しめると思います。

本サイトでは日光東照宮以外にも様々な日本の面白い歴史や文化について紹介しています。興味ある方はぜひ他の記事も見てくださると嬉しいです!