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京都・祇園の象徴とも言える八坂神社をご存じでしょうか?実は1300年以上の歴史を誇り、「祇園さん」として親しまれ、疫病退散や縁結び、商売繁盛のご利益があるとされ、年間を通じて多くの参拝者が訪れます。特に、日本三大祭りの一つである祇園祭は、京都全体が祭り一色に染まり、国内外から多くの観光客が集まる一大イベント。

そんな八坂神社ですが、一体どんな経緯で建てられたのかご存じでしょうか?またどんな見どころがあるのかご存じでしょうか?今回は意外と知らない八坂神社について紹介していきます。

八坂神社の概要

京都の祇園に位置する八坂神社は、全国に点在する約2300の素戔嗚尊を祭神とする神社の総本社として知られています。この神社は、厄除けや縁結び、美容にご利益があることで名高く、地元の人々から「祇園さん」の愛称で親しまれています。参拝者には、お守りや人気の油とり紙などが特に好評です。

また、毎年夏に開催される「祇園祭」は、八坂神社の象徴的な行事で、京都を代表するお祭りの一つです。この祭りは、京都観光のハイライトとして国内外から多くの人々を魅了しています。

さらに、神社に隣接する円山公園は、国の名勝にも指定されており、春には「祇園枝垂桜」が咲き誇る京都屈指の花見スポットとして多くの訪問者で賑わいます。秋には、近くにある清水寺や高台寺とともに、美しい紅葉を楽しむことができ、四季折々の風景が訪れる人々を魅了しています。
(画像引用: funjapo)

八坂神社の歴史

京都の祇園にある八坂神社は、長い歴史を持つ神社であり、その創祀については諸説が伝わっています。社伝によると、二つの説が特に有名です。

一つ目の説では、神社の起源は渡来人に由来するとされています。656年、高麗から日本に来た伊利之(いりし)が、新羅国の牛頭山(ごずさん)に祀られていた素戔嗚尊(すさのおのみこと)を、現在の山城国愛宕郡八坂郷(やましろのくにおたぎぐんやさかごう)に奉斎したことが八坂神社の始まりとされています。

もう一つの説では、876年に南都の僧である円如(えんにょ)がこの地にお堂を建立したことが起源とされています。同じ年、天神(祇園神)が東山の麓である祇園林に降り立ったことが祇園信仰の始まりだとされています。

その後、877年に疫病が流行した際、「東山の小祠」(祇園社)で祈祷が行われ、疫病が鎮まったことが八坂神社の信仰が広がるきっかけとなりました。さらに、995年には、王城を守護する重要な神社として、二十一社(後に二十二社)の一つに数えられるようになりました。

平安時代の史料は限られていますが、1070年の太政官符によれば、八坂神社の境内地は「東は白河山、南は五条以北、西は鴨川、北は三条以南」と広大な領域が定められていたことが記されています。これにより、八坂神社は都の守護と繁栄を象徴する存在として、平安時代以降も深い信仰を集めてきました。
(画像引用: The KANSAI Guide)

八坂神社の見どころ

続いて八坂神社の見どころを見てきましょう。八坂神社へ行く予定の方は必見です。

本殿

八坂神社の見どころの一つである本殿は、国宝に指定されており、その独特な建築様式で知られています。本殿と拝殿が一つの屋根で覆われる「祇園造」と呼ばれるこの形式は、他に類を見ない特異なものです。現在の本殿は、1654年に四代将軍・徳川家綱によって再建されたものです。

さらに、本殿の前に位置する舞殿では、一年を通じて多彩な行事が行われます。特に2月の節分祭では、舞妓や芸妓による優雅な舞踊が奉納され、秋の中秋の名月に行われる観月祭では、琴や雅楽、舞楽が披露されるなど、八坂神社ならではの雅な催しが訪れる人々を魅了します。
(画像引用:八坂神社)

西楼門

京都のメインストリートである四条通を東に進むと、目の前に現れるのが鮮やかな朱色が美しい八坂神社の西楼門です。その印象的な姿は、参拝者や観光客に人気のフォトスポットとしても知られています。この門は、応仁の乱で焼失した後、1497年に再建され、現在の八坂神社の建造物の中でも最も古いものです。

もともとは現在の位置よりも南西にあったものの、1913年の市電の開通に伴う四条通の拡張工事の際に、現在の場所に移築されました。この西楼門は、八坂神社を訪れる人々を迎えるシンボルとして、その歴史と共に長く親しまれています。
(画像引用:Leaf Kyoto)

舞殿

八坂神社の本殿前に建つ舞殿は、明治7年(1847年)に再建された美しい建造物です。ここでは、舞踊奉納や結婚式などの神事が行われ、祇園祭の際には3基の神輿が奉安される場所でもあります。舞殿を囲む数多くの提灯は、祇園のお茶屋や料亭から奉納されたもので、特に夜になるとこれらの提灯に灯りがともり、日中とは異なる幻想的な京都の雰囲気を感じることができます。

八坂神社は24時間参拝可能なため、夜に訪れて静かな雰囲気の中でお参りするのもおすすめです。夜の参拝では、灯された提灯が織りなす美しい光景を楽しみながら、より一層の京情緒を味わうことができるでしょう。
(画像引用:八坂神社)

疫神社

八坂神社の西楼門からすぐ近くにある疫神社は、蘇民将来を祭神とする特別な神社です。伝説によれば、素戔嗚尊が旅をしていた際、貧しいながらも心を込めてもてなした蘇民将来に感動した素戔嗚尊は、「今後、疫病が流行っても『蘇民将来の子孫なり』と言えば災厄を免れる」と約束したと伝えられています。そのため、疫神社は疫病退散のご利益があるとされています。

毎年7月31日に行われる「疫神社夏越祭」は、祇園祭の最終日を飾る重要な行事で、厄除けを願う多くの参拝者が訪れます。さらに、祇園祭で授与される粽には「蘇民将来子孫也」と書かれた護符が貼られており、厄除けの象徴として大切にされています。疫神社は、八坂神社の中でも特に健康や厄除けを願う参拝者にとって重要な場所です。
(画像引用: 八坂神社)

大国主社

西楼門から本殿へ向かう途中にある大国主社は、縁結びで知られる神社の一つです。神話「因幡の白兎」に登場する、うさぎを助けたことで有名な大国主命がご祭神として祀られています。縁結びのご利益があるとされ、特に「ご縁を実らせたい」と願う参拝者に親しまれています。

大国主社では、可愛らしい授与品である「願掛けうさぎ」が人気です。願いを込めてこのうさぎを奉納すると、縁結びの願いが叶うとされています。八坂神社を訪れた際は、この大国主社での参拝を通して、縁結びの祈願をするのもおすすめです。
(画像引用: 文化遺産オンライン)

美御前社

八坂神社の本殿東側に位置する美御前社は、美の神様として知られ、多くの参拝者に親しまれています。こちらには、素戔嗚尊の剣から生まれたとされる「宗像三女神」が祀られており、その美しい姿から、芸妓や舞妓といった祇園の女性たちも美のご利益を求めて参拝に訪れるといいます。

美御前社の見どころの一つは、社殿前に湧き出る「美容水」です。この御神水は、肌に数滴つけることで、身も心も清らかで美しくなれるとされ、美に関心のある方々には特におすすめのスポットです。八坂神社を訪れる際は、この美の神様の力を感じられる美御前社もぜひお参りください。

北向蛭子社

「祇園のえべっさん」の通称で親しまれる北向蛭子社は、福徳や商売繁盛のご利益で知られる神社です。毎年1月9日と10日には、福笹や吉兆が授与される特別な行事が行われます。特に9日には、七福神を乗せた蛭子船が西楼門の石段下から四条烏丸までを巡行するという、見る者にありがたみを感じさせる光景が広がります。

この時期、福笹を手にした福娘たちや、賑やかな太鼓やお囃子の音色とともに、「商売繁盛で笹もってこい♪」という元気な掛け声が響き渡り、四条通は活気に包まれます。新しい年の始まりに、福を授かりに北向蛭子社を訪れてみるのはいかがでしょうか。

八坂神社のアクセス

八坂神社へのアクセス方法はいくつかありますが、地下鉄を利用するのが便利です。まず、京都駅から地下鉄烏丸線に乗り、烏丸御池駅で地下鉄東西線に乗り換えて、東山駅を目指します。所要時間は約15分です。

また、JRをご利用の方は、京都駅の次に停車する山科駅で下車し、地下鉄東西線に乗り換えることで混雑を避けられます。山科駅から東山駅までは約8分で到着します。東山駅からは地上に出て、三条通を東に5分ほど歩くと三条神宮道の交差点に到着します。そこを右折して神宮道を南へ進むと、約3分で青蓮院、さらに5分ほど歩くと知恩院があり、この辺りは歴史的な見どころも多いエリアです。知恩院の南側を抜けると円山公園に出ます。八坂神社はこの公園の西隣に位置しています。

祇園エリアへは、土休日に限り観光特急バス(EX100系統)が運行されており、大人500円で利用可能です。また、通年で観光地を結ぶ106系統(楽洛東山ライン)も運行しているので、便利に移動できます。

四条河原町からも徒歩圏内で、四条通を東に進み、鴨川を越えると八坂神社の朱色の門が目に入ります。徒歩約13分で到着しますが、バス利用の場合は四条通の渋滞により遅延が発生することもあるため、徒歩が推奨されます。

 

八坂神社の豆知識

最後に八坂神社の豆知識を見ていきましょう。由緒正しい神社であるからこそ様々な豆知識や憶測があります。それでは見ていきましょう。

きゅうりを食べた人は八坂神社へ行ってはいけない?

八坂神社には、興味深い豆知識があります。それは、ご神紋がきゅうりを輪切りにした形に似ていることから、きゅうりを食べた後は神社に参拝してはいけないと伝えられていることです。地元の氏子さんたちも、特に祇園祭の時期が近づくと、きゅうりを食べるのを控える習慣があります。このような伝統的な風習は、八坂神社ならではの独特な文化として大切にされています。
(画像引用: 千代田区観光協会)

西楼門は雨垂れがなく蜘蛛の巣が張られたことない?

八坂神社の西楼門は、鮮やかな朱塗りで四条通の突き当たりに堂々と建っています。この西楼門には不思議な特徴があり、屋根から雨垂れが全くないため、雨垂れの跡が残らないとされています。さらに、一度も蜘蛛の巣が張られたことがないとも言われ、神秘的な存在感を感じさせます。

西楼門は1497年に再建された歴史ある建物ですが、実は八坂神社の正門ではありません。正門は南側にあり、その前には立派な鳥居が建てられています。こうした豆知識を知ってから訪れると、さらに八坂神社の魅力を感じられるかもしれません。
(画像引用: 砂村隠亡丸の余苦在話)

夜に泣く石?

八坂神社の末社である日吉社(ひよししゃ)の前には「夜泣き石」と呼ばれる石が存在します。この石は、本殿の鬼門にあたる場所にあり、不思議なことに夜になるとシクシクとすすり泣くような音が聞こえると伝えられています。そのため、地元では「夜泣き石」として知られ、少し神秘的な存在です。

日吉社は、大山咋神(おおやまくいのかみ)、大物主神(おおものぬしのかみ)、そして大己貴神(おおなむちのかみ)を祀る神社で、古くからの信仰が根強い場所です。こうした伝説や神々の存在が、八坂神社のさらなる魅力を引き立てています。
(画像引用: とりあえず)

二見岩は地球の真ん中まで届いている?

八坂神社の末社である大神宮社には、内宮と外宮の2つの祠があり、その間に「二見岩」と呼ばれる石があります。この二見岩は、なんと地球の地軸にまで達するほど深く伸びていると伝えられており、非常に神秘的な存在です。

大神宮社では、内宮に天照大神(あまてらすおおかみ)、外宮に豊受大神(とようけのおおかみ)をお祀りしており、古くからの信仰を集めています。この二見岩を囲む神聖な空間は、八坂神社の中でも特に強いエネルギーを感じられる場所の一つとされています。
(画像引用: Sakak‘s Gadget Blog)

龍井戸は竜宮まで届いてる?

八坂神社の本殿(国宝)の下には「龍穴」と呼ばれる深い井戸があり、龍が棲むほど底知れぬ深さだと言われています。この龍穴は、神泉苑や東寺、さらには竜宮へと通じているとも伝えられ、古くから神秘的な場所として語られてきました。鎌倉時代の書物『釈日本紀』にも、龍穴が竜宮に繋がっているという伝説が記されています。

また、本殿は1654年(承応3年)に江戸幕府の4代将軍・徳川家綱によって再建されました。龍穴が繋がっているとされる神泉苑は、かつて大内裏に隣接していた宮中の庭で、869年(貞観11年)に行われた御霊会が八坂神社の祇園祭の起源と言われています。また、東寺(教王護国寺)は、第50代桓武天皇が都の入口に国家鎮護の官寺として796年に創建した重要な寺院です。こうした神秘的な歴史を知ると、八坂神社の魅力がさらに深まることでしょう。

本殿で龍が吠えている音がする?

八坂神社には「龍吼」と呼ばれる不思議な現象があります。本殿の玄関の東側の柱から西に向かって柏手を打つと、音が大きく反響し、まるで龍が応えているかのように響き渡るのです。この現象は、東の柱と屋根の庇の接点部分に描かれた龍が、柏手に応じて鳴いているとも言われています。

この「龍吼」は、八坂神社を訪れる人々にとって、神秘的な体験として語り継がれており、神社の魅力を一層引き立てる豆知識のひとつです。参拝の際には、ぜひ試してみてください。

力水と美容水を身体につけると美しくなる?

八坂神社の末社である大神宮社の入口右側には、「力水(ちからみず)」が湧き出ています。この力水を飲んでから八坂神社の摂社・美御前社(うつくしごぜんしゃ)に参拝すると、美人になれるという言い伝えがあります。また、この力水は「祇園神水(ぎおんしんすい)」とも呼ばれ、特に祇園信仰において重要視されています。

美御前社の前からは「美容水」と呼ばれる神水も湧き出ており、肌に数滴つけることで、内面も外見も美しくなれると信じられています。美御前社では、宗像三女神(むなかたさんじょしん)とされる市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)、多紀理比売命(たぎりひめのみこと)、多岐都比売命(たぎつひめのみこと)が祀られており、特に美に関心のある方には見逃せないスポットです。八坂神社を訪れる際には、力水と美容水のご利益をぜひ体験してみてください。

忠盛灯籠

八坂神社の末社・大神宮社と摂社・悪王寺社の間には、「忠盛灯籠」と呼ばれる灯籠があります。この灯籠の名前は、平忠盛に由来しています。平忠盛は、白河法皇に仕えた武将で、ある五月雨の夜、法皇が祇園女御の元へ向かう際に、鬼のような姿を目撃しました。法皇は忠盛にその「鬼」を討つよう命じましたが、忠盛は冷静に判断し、生け捕りにしようとしました。結果、鬼のように見えたものは、蓑を被った僧が灯籠に火を灯そうとしている姿だったことが判明しました。この冷静な対応に感嘆した法皇は、以降この灯籠を「忠盛灯籠」と名付けたと伝えられています。

平忠盛は平清盛の父であり、1096年に平正盛の長男として生まれました。彼は検非違使として都の治安維持に尽力し、白河法皇の信頼を得て、昇殿を許されるなどの栄誉を受けました。また、山陽道や南海道の海賊を討伐し、西国に平氏の勢力を築く基礎を固めました。さらに、九州で日宋貿易を行い、経済力も強化しました。このような歴史を知ると、忠盛灯籠に秘められた物語がより一層興味深く感じられます。

まとめ

いかがでしたでしょうか。今回八坂神社の歴史や見どころ、豆知識を紹介してきました。

京都の観光地として名高い祇園にある八坂神社は、1300年以上の歴史を持つ由緒ある神社です。疫病退散や縁結び、商売繁盛の神様として、多くの参拝者に親しまれてきました。特に夏の風物詩である祇園祭は、八坂神社を中心に京都の街全体で開催され、国内外から訪れる観光客を魅了します。美しい朱塗りの社殿や季節ごとの風景も見どころの一つ。京都を訪れた際には、歴史と自然が調和したこの神社をぜひ堪能してください。

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