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皆さん、伊勢神宮へ訪れたことありますか?伊勢神宮は、日本の三重県伊勢市にある日本最高峰の神聖さを誇る神社であり、国内外から多くの参拝者が訪れる場所です。伊勢神宮は日本の神社の中でも最も格式が高い神社で、日本創設の神様「天照大御神」を祀っていることでも有名です。しかしそんな伊勢神宮ですが、一体どんな歴史があるかご存じでしょうか。また20年に一回新しく作り替わっていることもご存じでしょうか。今回はそんな日本一の神社である伊勢神宮について歴史や見どころ、そして豆知識を紹介していきます。

伊勢神宮とは?

最初に伊勢神宮とは一体どんな神社なのかについてから説明していきましょう。伊勢神宮は、内宮(皇大神宮)と外宮(豊受大神宮)の二つの主要な神宮を中心に、多数の別宮、摂社、末社、所管社などが伊勢市やその周辺に点在している神社たちを指しています。内宮では日本神話における最高神であり、皇室の祖先である天照大御神を祀り、外宮では豊受大御神が祀られています。伊勢神宮は、これら125社を含めた広範囲な神社群を指して用いられることもあります。天照大御神は太陽神であり、『古事記』によると、伊邪那岐命が黄泉の国から帰還した際に自身を清めた際に左目から誕生したとされます。この神聖な場所は、長い歴史を通じて日本人の精神的な中心地とされ、多くの人々が参拝に訪れます。

伊勢神宮の歴史

伊勢神宮の歴史には天照大御神が大きく関わっています。そもそも天照大御神とはどんな神様なのでしょうか。
(画像引用: aumo)

天照大御神とは

天照大御神は太古の昔、混沌とした宇宙の中で、最初に現れたのは三柱の神々の一柱です。天照大御神は、日本神話において最も重要な神の一人であり、太陽を司る神とされています。彼女は宇宙の秩序と生命、繁栄を象徴し、多くの日本人にとって特別な存在です。天照大御神は、高天原(神々の住む天の世界)に居を構えるとされ、全てのものを照らし、生命を育む太陽そのものを表しています。天照大御神は日本創設にかかわる神様です。

また天照大御神は日本の皇室と深い関係があるとされ、皇室の祖神として崇拝されています。神話によると、天孫降臨の際に彼女の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が地上に降り立ち、それが日本の皇室の始まりとされています。

天照大御神と伊勢神宮の関係

伊勢神宮が創建されたのは約2000年も前のことです。かつて天照大御神は天孫降臨の際から天皇のそばで祀られていました。しかし、第10代崇神天皇の時代に、天皇は天照大御神を皇居と同じ場所で祀ることに恐れを感じ、宮中外へ出ることになりました。これにより天照大御神も引っ越しすることになり、引っ越し作業を手伝うこの重大な任務は皇女豊鍬入姫命に託されました。彼女は大和の笠縫邑に神籬を立て、天照大御神を祀りました。

その後、第11代垂仁天皇の時代に、新たな皇女、倭姫命が登場します。彼女は豊鍬入姫命に代わり、天照大御神に永遠に祀るのにふさわしい場所を探す旅に出ました。大和国から始まり、伊賀、近江、美濃を経て、最終的に伊勢国へと辿り着きます。「この神風の伊勢の国は、美しい国である。ここにいよう」と天照大御神は語りました。そこで、倭姫命は五十鈴川の川上に宮を建て、天照大御神は伊勢に永遠の御鎮座地を得たのです。

この神聖な場所、伊勢神宮は、天皇以外の者が幣帛を供えることを禁じた「私幣禁断」という制度がありながらも、その存在と神聖さは次第に民衆に広まり、多くの人々が参拝するようになりました。鎌倉時代には「参詣人幾千万なるを知らず」と記されるほど、伊勢神宮は多くの人々に愛される場所となりました。

また、伊勢神宮への信仰を支えたのが「御師」と呼ばれる人々でした。彼らは神様への願い事を取り次ぐ役割を持ち、全国に拡がる檀家を持ち、神札の頒布や祈祷を行い、参拝者の案内や御神楽を行うなど、神宮崇敬に大きく貢献しました。この御師の影響で伊勢めぐりが特に江戸時代、大人気になりました。争いがなく平和な時代で人々は神を信仰する心の余裕もありました。また交通網も整理されていたということで三重へ行くのが以前よりもハードルが高くはなかったのです。

明治時代に入り、御師制度は廃止されましたが、伊勢神宮への崇敬の念は変わらず、今日でも日本全国、さらには世界中から多くの人々が訪れ、神聖なる場所で祈りをささげています。二千年以上の長い歴史を持つ伊勢神宮は、その神秘的な美しさと信仰の深さで、今なお多くの心を捉えて離しません。

伊勢神宮の見どころ

伊勢神宮は内宮と外宮の2種類に分かれています。

内宮

正宮皇大神宮

伊勢神宮の内宮、皇大神宮は、日本の精神的な中心地として、国家の守護神であり皇室の御祖神である天照大御神をお祀りしています。約2000年前に、天皇が天照大御神を祀るためのご神体として八咫鏡を伊勢の地にお祀りし始めたことから、伊勢信仰が全国に広がりました。『日本書紀』に記された天照大御神の誕生とその神聖さは、皇大神宮の重要性を際立たせています。

皇大神宮の最大の見所は、その神聖なご神体である八咫鏡と、それを祀る神聖な空間です。天照大御神への崇敬は、宮中だけでなく、全国の神社の本宗として特別な位置を占めており、伊勢神宮の参拝は多くの人々にとって特別な意味を持ちます。皇大神宮は、神路山と島路山の麓、五十鈴川のほとりという自然に恵まれた地に鎮座しています。この豊かな自然環境は、天照大御神の神聖さをさらに引き立て、訪れる人々に平穏と神聖な気持ちをもたらします。また皇大神宮は『天壌無窮の神勅』にも関わっており、この国の永遠の繁栄と平和を象徴しています。倭姫命が伊勢の地を選んだ経緯や、20年に一度の式年遷宮など、皇大神宮にまつわる歴史や伝統は、その神聖さと重要性を一層深めています。
(画像引用: 伊勢神宮HP)

荒祭宮

伊勢神宮には、内宮と外宮の主要な神社の他に、十所の別宮が存在しますが、その中でも荒祭宮(あらまつりのみや)は特に重要な位置を占めています。この別宮は、内宮に所属する別宮の中で第一位に位置づけられており、その殿舎は正宮に次ぐ大きさを誇ります。

荒祭宮のご祭神は、天照大御神の荒御魂(あらみたま)で、神々しい力と活動的な側面を象徴しています。神道では、神様の御魂の穏やかな働きを「和御魂」(にぎみたま)と呼び、一方で荒々しく力強い神威を発揮する側面を「荒御魂」と称えます。荒祭宮は、この荒御魂を祀ることで、天照大御神のもつ豊かなる力と生命力、そして自然界や人々の生活に影響を与える力強い側面をたたえています。
(画像引用: 伊勢神宮公式HP)

宇治橋・五十鈴川

伊勢神宮にある宇治橋は、神聖な入口としての役割を果たし、参拝者を迎える象徴的な存在です。全長101.8メートル、幅8.4メートルのこの美しい反り橋は、その純日本風の設計で知られています。特に目を引くのは、欄干の上に並べられた16個の擬宝珠で、これらは宇治橋の独特な美しさを際立たせています。

宇治橋の建築材料には、伝統的な日本の建築素材が用いられています。床板や欄干は香り高い檜(ひのき)で作られており、その柔らかな色合いと木目が橋の温かみを感じさせます。一方で、橋脚には水に強い欅(けやき)が使用されており、橋が長年にわたって厳しい自然環境に耐えうるように工夫されています。このようにして、宇治橋は美しさと実用性を兼ね備えているのです。

宇治橋は伊勢神宮への参道に架かる橋であり、その渡り初めは参拝の旅の始まりを象徴しています。橋を渡ることで、参拝者は日常から離れ、神聖な領域へと足を踏み入れることになります。この橋から見る景色は四季折々に変わり、自然の美しさと調和した橋の姿は、多くの人々に感動を与えてきました。
(画像引用: 伊勢神宮公式HP)

五十鈴橋

伊勢神宮の境内を流れる五十鈴川は、その清らかな水と歴史的背景から、訪れる人々にとって特別な場所となっています。「御裳濯川」とも呼ばれるこの川は、神話に登場する倭姫命が川で衣の裾を洗ったという伝承に由来しています。この美しい川は、神路山を源流とする神路川と、島路山からの島路川の二つの小川が合流して形成されています。

内宮の参道沿いには、清浄な心身で神聖な場所に入るための「御手洗場」があります。この場所は、五十鈴川の清らかな水を用いて、参拝前に身を清めるための手水舎として機能しています。御手洗場の周辺は、元禄5年(1692年)に徳川綱吉の生母である桂昌院によって寄進された石畳で美しく整備されており、その歴史的価値も高いです。

五十鈴川と御手洗場は、伊勢神宮の参拝体験において重要な役割を果たしています。川の清らかな流れと、御手洗場での心身の浄化は、参拝者が神聖な空間に入る前の心構えを整えるために不可欠です。伊勢神宮を訪れる際には、昔ながらの伝統に従い、五十鈴川の水で身も心も清め、神々への敬意を表す準備をしましょう。このような体験は、伊勢神宮の厳かな雰囲気と神道の教えに触れる貴重な機会を提供してくれます。
(画像引用: 伊勢神宮公式HP)

外宮

風日祈宮

伊勢神宮の内宮にある風日祈宮は、特に風雨を司る級長津彦命と級長戸辺命を祀り、日本の農業にとって不可欠な風雨の神としての役割を担っています。この宮は、農作物、特に五穀の豊穣を祈願し、風雨による災害を防ぐために丁重にお祀りされています。

風日祈宮の大きな見所は、風雨に関わる神事、特に風日祈祭です。毎年5月14日と8月4日の2度にわたって行われるこの祭りは、風雨の災害がなく、五穀豊かに実ることを祈願する重要な行事です。風日祈宮橋から見ることができる美しい新緑や紅葉は、風日祈宮の自然の美しさを際立たせ、参拝者に穏やかな気持ちを与えます。

『皇太神宮儀式帳』や『延喜太神宮式』に記された歴史的背景は、風日祈宮の長い歴史とその変遷を物語っています。かつて「風神社」と呼ばれていたこの宮が、風日祈宮として宮号を受けたのは、蒙古襲来時にご神威によって起こされた猛風が敵軍を全滅させたという未曽有の国難を救ったご霊験によるものです。その後、時代と共に祭祀の形式が変化し、現在の年2度の風日祈祭となりましたが、その本義は変わらず受け継がれています。
(画像引用: 伊勢市観光協会公式HP)

 

式年遷宮

伊勢神宮の式年遷宮は、内宮(皇大神宮)と外宮(豊受大神宮)を含む神宮全体における最大の祭事であり、20年に一度、神宮の社殿を新しく造り替えて大御神を新宮にお遷りいただく儀式です。この伝統は約1300年にわたって継続されており、神宮の永続と継承、そして永遠の再生を象徴しています。式年遷宮は、常に新しく清らかな環境で神をお祀りすることにより、永遠に変わらない神聖な儀式を行うことに大きな意義があります。

式年遷宮の起源は天武天皇の発意によるもので、持統天皇4年(690年)に第1回の遷宮が内宮で、その2年後には外宮で初めて行われました。歴史を通じて一時的な中断があったものの、この伝統は継続され、平成25年(2013年)には第62回の式年遷宮が古式ゆかしい形で執り行われました。

伊勢神宮の初期の形態は現在見ることができる大規模な宮ではなく、天照大御神を祀るための臨時の祭場、神籬(ひもろぎ)や祠(ほこら)と呼ばれる仮設的な施設でした。これらはお祭りの都度、神を仰ぎ祀るために新たに設けられたもので、神聖な場としての一時的な役割を果たしていました。このシンプルな形態から、神宮がより恒久的な宮へと進化していったのは、天武天皇の発意により、持統天皇の時代に始まった式年遷宮によるものです。
(画像引用: 伊勢神宮公式HP)

伊勢神宮の豆知識

伊勢神宮が内宮と外宮に別れている理由

伊勢神宮の内宮と外宮の名称は、深い歴史的背景と意味を持っています。内宮、すなわち皇大神宮は、天照大御神を祀っており、この神は日本神話において最も尊い存在であり、皇室の祖先神とされています。このため、「内」の字が使われ、天皇や皇室に関連するものとしての意味合いが強いです。古代の朝廷では、天皇の居住する宮殿を「内裏」と呼び、これが「内なるもの」という意味を持つことから、天照大御神を祀る皇大神宮を「内宮」と呼ぶようになったとされています。

一方で、外宮は豊受大御神を祀る場所であり、「外」という名称は、内裏の外、すなわち離宮を指す言葉から来ていると考えられています。内宮が天皇を象徴する「内なる宮」であるのに対し、外宮はそれに付随する形で「外なる宮」として位置づけられたというわけです。このように、伊勢神宮の内宮と外宮の名称は、それぞれが持つ祭神の重要性と、皇室との関連性を反映していると言えるでしょう。
(画像引用: Let`s SEE JAPAN)

伊勢神宮にはおみくじがない

伊勢神宮は、日本の神社の中でも特に高い地位を占め、多くの人々が一生に一度は参拝したいと願う神聖な場所です。伊勢神宮には、一般的な神社に見られる「おみくじ」が存在しません。これには、参拝自体が大きな恩恵と考えられているため、別途おみくじによる吉凶を占う必要がないという背景があります。

お伊勢参りは、古くから日本人にとって特別な意味を持ち、伊勢神宮への参拝は多くの人々にとって人生の一大イベントとされています。ここでの参拝は、「大吉」をもたらすと考えられており、それ以上の吉凶を占う行為は必要ないというのが一般的な見解です。伊勢神宮の神々への深い敬意と信仰心から、参拝そのものが最高の祝福とされ、おみくじに頼ることなく、神様からの恩恵を直接受けることができるとされています。

また、伊勢神宮の信仰と儀式は、古来からの伝統に根ざしており、その神聖な環境と厳かな雰囲気は、参拝者に内省と精神的な浄化を促します。このような環境の中で、おみくじのような形式的な占いを行うことは、伊勢神宮の神聖さとは異なる文化とされているのです。

内宮では右側通行、外宮では左側通行の理由

伊勢神宮の内宮と外宮で参道の歩行ルールが異なる理由は、その構造と神聖な礼儀に基づいています。内宮では、参道の左手に正宮が位置しており、参拝者は神域への敬意を示すために、より遠い右側を歩くようになっています。これにより、内宮での参拝では右側通行が慣例とされています。

一方、外宮では参道の右手に正宮があるため、内宮とは逆に参拝者は左側を歩くことになります。これは、参拝者が神聖な正宮から遠ざかるように歩き、慎み深い心を保つという伝統的な考え方に基づいています。

さらに、参拝前に心身を清めるための手水舎や御手洗場の位置も、内宮と外宮でそれぞれ右側、左側に設けられています。これは、参拝の際に通行のルールに沿った流れをスムーズにし、また参拝者が神聖な場所への心構えを整えるための配慮とされています。
(画像引用: THY GUEST HOUSE EST 2020)

伊勢神宮を参拝するときはなぜ外宮から参拝するのか

伊勢神宮における外宮からの参拝の習慣は、神宮の祭典である「外宮先祭」の伝統に由来します。この祭儀はまず外宮で行われ、その後に内宮で祭儀が執り行われます。この順序は、外宮で祀られている豊受大御神が、内宮で祀られている天照大御神の御饌都神(食事を司る神)であることに基づいています。従って、内宮での祭典に先立って、まず外宮で豊受大御神に食事を供えるというのが慣習となっています。

この祭典の順序から、伊勢神宮への参拝も同様に外宮から内宮へと進むのが一般的な習わしになっています。この習慣は、神々への敬意を示すと同時に、神聖な祭儀の順序を守ることで、参拝者自身も神聖な時間と空間に参加しているという意識を持つことを促します。

また、江戸時代には、お伊勢参りの際に伊勢神宮へ向かう前に二見浦で身を清める「浜参宮」というルートが人気を博しました。この伝統は、参拝者が神宮への敬意を示し、心身を清めるためのものであり、今日でも二見浦を訪れる参拝者がいます。これは、伊勢神宮への参拝をより深い精神的な体験とするための一環として存在しています。このようにして、伊勢神宮への参拝には、ただ単に神社を訪れるという以上の意味が込められています。外宮からの参拝は、神々の序列と役割を尊重すると共に、参拝者自身の心を整え、精神的に清らかな状態で神聖な空間に入る準備をする行為とされています。

伊勢神宮の内宮で御神体は八咫鏡

伊勢神宮の内宮には、日本古来の皇位の象徴として大変重要な役割を果たす三種の神器の一つ、八咫鏡(やたのかがみ)が御神体として安置されています。三種の神器とは、八咫鏡、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を指し、これらは日本の皇室に受け継がれる最も神聖な宝物とされています。

八咫鏡は、日本の神話において天照大御神が岩戸隠れの際に使用したとされる神聖な鏡であり、その後天照大御神から瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)へ、そしてその子孫である初代天皇である神武天皇へと受け継がれてきました。この鏡は、皇位継承の正統性を示す証として、皇室にとって極めて重要な意味を持ちます。
(画像引用:伊勢神宮・ご朱印)

伊勢神宮のお参りするところにある白い布の正体

伊勢神宮のお参りする場所に見られる白い布は「御幌(ごほう)」と呼ばれ、神聖な空間を保護し、尊厳を保つために用いられます。神宮の正殿は、敬意を表し、神聖さを守るために四重の垣根に囲まれています。この御幌は、門が開いている際に正殿が直接視界に入らないようにするため、特に神聖な空間を隠す役割を果たしています。

また、出入口の外側に立っている「蕃塀(いばらべい)」と呼ばれる塀も、御幌と同様に神聖な空間を外部から隔て、内部の純粋さと静寂を守る目的で設置されています。内宮における蕃塀は、石段の下を含む東西南北の各所に位置しており、参拝者が神域に入る前に心を落ち着け、内省的な気持ちになるための空間を形成しています。
(画像引用: 伊勢神宮・ご朱印)

まとめ

いかがでしたでしょうか。伊勢神宮の歴史や見どころ、式年遷宮や豆知識を紹介していきました。天照大御神が祀られているだけの大神社なので、見どころがとにかくたくさんありますね。またこうした歴史や豆知識を知ってから訪れるとまた違った角度から伊勢神宮を楽しむことができます。

本サイトでは伊勢神宮にも日本の歴史や文化を紹介しています。興味ある方はぜひ他の記事も読んでくださると嬉しいです!