東京都の赤坂にある日枝神社をご存じでしょうか。東京都の永田町とまさに東京のど真ん中という場所でありながら日本でも有数の由緒正しい神社が日枝神社です。そんな日枝神社ですが、一体何を祀っている神社なのでしょうか。また神猿を祀っていることをご存じでしょうか。さらに日枝神社には怖いという噂も出てきています。今回はそんな以外と知られていない日枝神社について歴史と見どころと豆知識について紹介していきます。
日枝神社の歴史
まずは日枝神社の歴史を見ていきましょう。日枝神社の歴史は、日本の中世から現代に至るまで、多くの変遷を経ています。 この神社は鎌倉時代初期、秩父重継によって彼の居館内に山王宮として奉納されるのが始まりです。その後、戦国時代には太田道灌が江戸城築城の際に川越山王社をこの地に勧請し、徳川家康が江戸城を居城とした際には、場の内の紅葉山に新たな社殿を建立しました。
しかし、1657年の振袖火事という大火が江戸を襲い、その後の再建作業の心構えとして、日枝神社は星ヶ丘と呼ばれる景勝の地に移転されました。この移転座により、江戸城内から移転された特別な神社として、歴代将軍や多くの人々に崇敬され、皇城鎮護の神としての地位を確立しました。 明治維新後の東京奠都に因んで、日枝神社は官幣大社の極位に列せられるなど、国家重要な神社としての国内を閲覧続けました。
1923年の関東大震災では、多くの神社が被害を受けましたが、日枝神社はその影響を比較的免れ、東京大神宮の御社殿が一時的に日枝神社の境内に移されるなど、その歴史のその後も、氏子や崇拝者の努力により昭和33年には新たな建物が完成し、再びその威容を山王台の上に拝観しました。
このように日枝神社の長い歴史は、江戸時代から現代にかけての日本の歴史を変遷をゆく鏡のような存在です。その神社が持つ重要な歴史的、文化的価値は、今日も多くの人々に尊重され、崇敬されますされています。
日枝神社の見どころ
続いて日枝神社の見どころを見てきましょう。日枝神社へ行く予定の方は必見です。
山王鳥居
日枝神社の象徴の一つである山王鳥居は、その独特な構造と意味合いで見る人を魅了しています。このユニークなデザインは、仏教の胎蔵界と金剛界、そして神の教えを象徴的に融合させており、日々の慈悲と受容、強い意志の力、そしてそれらが適合して一つになる神聖なるエネルギーを表現しています。
日枝神社には、表参道、裏参道、西参道の3箇所にこの特別な山王鳥居が設置されており、それぞれが神社の重要な入り口として機能しています。は神聖な空間になっても大丈夫、心身ともに清められると言われています。
日枝神社は、東京のビジネス街、永田町に位置しているにも関わらず、その境内は緑豊かで開放的な空間が存在しており、都会の喧騒から離れた静寂と安らぎを提供しています。山王鳥居をくぐると、その神秘的な雰囲気が訪れる人々の心を引き締め、特別な体験をさせてくれるのです。
(画像引用: The Gate)
男坂
日枝神社への参拝には、特にパワーを感じられると言われる「男坂(おとこざか)」、通称「表参道」からの入場が推奨されます。 男坂は、神社へのアクセスにおいて最も伝統的で格式高いルートとされ、神聖な雰囲気を一層高めています。 この坂は、その名の通り、力強さと勇気を象徴しており、急な階段が特徴です。清め、神聖な空間へと心を整えることができるとされています。
この男坂は、日枝神社最大のお祭りである「山王祭」の際にも重要な役割を果たします。祭りのクライマックスであるお神輿の行列は、男坂を通って境内に入ります。ルートをたどることで、お祭りの厳かな雰囲気が一層増し、神社の神聖さを感じることができます。
しかし、男坂の急階段は、歩行に不安がある方や特別な考慮で参拝される方重視は、多少挑戦的なものかもしれない。女坂は、もともと江戸時代に将軍が参拝の際に使用していたため「御成坂」とも呼ばれています。女坂を通って神門にたどり着く、一礼することで、男坂を登ったのと同等のご利益を得ることができると言われています。
(画像引用: ぶらぶら神社)
神猿
山王稲荷神社
日枝神社の末社である山王稲荷神社は、この地の豊かな自然と深い歴史を背景に持つ、特別な場所です。ここには、元からこの地に宿る地主神「倉稲魂命(うかのみ)」この神様は、「うか」とも呼ばれ、「穀物」や「食べ物」を意味する言葉であり、穀物の神様、特に稲荷神として古くから信仰されています。た。
山王稲荷神社は、その信仰の対象が示すように、農業の豊穣と恩恵を司る神様として尊崇されています。また、農業だけでなく商工業の守護神ともされており、参拝者は商売繁盛や事業の成功を願って訪れます。神社には、訪れる人々が願い事を込めた絵馬やお供え物が奉納され、神様への深い信仰と感謝の心が表れています。
この末社の存在は、日枝神社の境内が初期の祈りの場所のものであることを示しています。山王稲荷神社を訪れることで、参拝者は日々の暮らしの中での豊かさや成功を祈り、自然との調和や感謝の心を再認識することができます。
(画像引用: 八百万の神)
猿田彦神社
千本鳥居
日枝神社の境内には、都内でも数少ない「千本鳥居」の一つが存在し、その神秘的な美しさで訪れる人を魅了しています。に位置し、稲荷参道として知られています。男坂のある表参道から見てほぼ向こうに位置することから「裏参道」とも呼ばれるこの道は、その明るい鳥居が特徴的です。
鳥居をくぐって進むと、朱色の鳥居が続く美しい「千本鳥居」が現れます。この鳥居の連なりは、境内の明るい空気とは異なり、落ち着いた不思議な雰囲気を醸し出しており、この場所に足を踏み込むと心が徐々に穏やかになっていくのを感じることができます。
千本鳥居は社殿の右奥の裏手に手に入る場所があるため、来場者にとっては少し見つけにくい場所にあり神秘的な雰囲気を一層強調しています。
八坂神社
日枝神社内に鎮座する八坂神社は、海や嵐、荒ぶる自然の力を司る素盛鳴神(すさのおかみ)をご祭神としており、その神聖南境内は多くの参拝者で賑わいます。素盛鳴神は、神話において日本において数々の逆境を乗り越え、英雄としての面目を保った神として知られています。また、国津神、ところでこの土地固有の神様としても崇められています。
この神社が祀る素盛鳴神は、その生涯様々な困難に立ち向かい、それらを乗り越える強靭な精神力を持っていたと伝えられています。そのため、八坂神社は困難や逆境に耐えている人々のために、強い力と勇気を授けてくれる場所として特別な意味を持ちます。
日枝神社の豆知識
最後に日枝神社の豆知識を見ていきましょう。由緒正しい神社であるからこそ様々な豆知識や憶測があります。それでは見ていきましょう。
日枝神社で祀られているのは山の神 大山咋神
日枝神社において中心的に祀られているのは、山の神様である大山咋神(おおやまくいのかみ)です。この神様は、もともと滋賀県にある比叡山のふもとに位置する日吉大社が起源であり、日枝神社はこの日吉大社から全国へと派生した形で創建されました。そのため、日枝神社では比叡山の守護神である大山咋神が祀られているとされています。
大山咋神は、自然や山々を司る神様としての側面のほかに、人々の日常生活に関わるさまざまなご利益をもたらすと信じられています。特に、縁結びや恋愛成就に関するご利益が有名であり、多くの参拝者が愛と絆の神様として大山咋神を崇拝し、祈願を捧げています。また、安産祈願や子育ての守護もこの神様のご利益とされ、家庭の幸福や子どもの健やかな成長を願う人々にとっても大切な存在です。
さらに、大山咋神は仕事運や出世運の向上、商売繁盛といった経済的な成功や繁栄にも関わる神様とされており、ビジネスを行う人々やキャリアアップを目指す人々からも深い信頼を寄せられています。またスタートの神様とも言われており、何か物事を新しく始める方がお参りに来ることも多いです。これらの多岐にわたるご利益は、日枝神社が多くの人々にとって大切な信仰の対象となっている理由の一つと言えるでしょう。
(画像引用: 千代田区観光協会)
日本三大祭りの山王祭
まとめ
いかがでしたでしょうか。今回日枝神社の歴史や見どころ、豆知識を紹介してきました。山の神 大山昨神が祀られていたり、その使いである神猿も存在していたりと神聖なパワーが充満しているということでご利益があったり、逆に霊感が強すぎて怖いという噂もたっています。東京都のど真ん中とは思えない神聖さに初めて訪れた方は圧倒されてしまうかもしれません。
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