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皆さん、東京の明治神宮を訪れたことございますでしょうか。明治神宮は参拝数が毎年300万人と日本一の参拝数を誇る日本を代表する神社です。明治神宮は大都会の、しかも若者文化の最先端の街である原宿にある広大な大自然に囲まれた由緒ある神社です。なんとその広さ東京都ドーム15個分もあるのです。そんな明治神宮ですが、一体何のために建てられたのかご存じでしょうか。またどんなところが見どころなのかご存じでしょうか。今回はそんな以外と知られていない明治神宮の歴史と見どころを豆知識を紹介していきます。

明治神宮の歴史

明治神宮は、1912年に59歳で崩御された明治天皇と、その2年後に亡くなられた昭憲皇太后を祀るために建立された神社です。明治天皇は東京の青山で、昭憲皇太后は京都南郊の伏見桃山東陵にそれぞれ埋葬された後、国民の間から二人の神霊を祀る神社の建立を求める声が高まりました。これに応えて、1915年に東京の代々木に明治神宮の建立が決定し、全国から集まった青年団が参加して5年間の工事の末、1920年11月1日に創建されました。

しかし、1945年4月の太平洋戦争中の米軍の空襲により、明治神宮の本殿を含む主要な建物が焼失しました。戦後、日本の復興と共に明治神宮の復興も求められ、「明治神宮の復興なくして、日本の復興はない」という機運が高まり、多くの浄財が寄せられました。これにより、1958年に現在の姿の明治神宮が再建されました。

その後も、1993年には平成の御大典記念事業として「神楽殿」が、2002年には明治天皇御生誕150年を記念して「社務所」が新築されるなど、明治神宮は日本人の心のふるさととしての役割を担い、今も発展を続けています。
(画像引用: 明治神宮公式HP)

明治神宮の見どころ

それでは続いて明治神宮の見どころを見ていきましょう。先ほども触れましたが明治神宮は東京ドーム15個分の広さです。そのような広さなので事前に見所が分かっていると移動がスムーズになるかと思います。実際に明治神宮へ行く人は参考にしてみてください!

大鳥居

明治神宮、東京の心臓部に位置し、都会の喧騒を離れた静寂と緑豊かな空間を提供しています。その入口に立つ巨大な大鳥居は、訪れる人々に強烈な印象を与える、この神聖な場所の象徴的存在です。一代目の大鳥居は明治神宮の創建と共に1920年に建てられましたが、その後の時の流れは、この偉大な鳥居にも影を落としました。

1966年、落雷と老朽化のために大きな損傷を受けた一代目の大鳥居は、再建の必要に迫られました。しかし、その巨大さを支えるに足る十分な大きさの檜を日本国内で見つけることができませんでした。この難題を解決したのは、台湾にて発見された樹齢1500年を超える壮大な大木でした。現地の人々の協力と並外れた努力により、この大木は日本に運ばれ、二代目の大鳥居の建造に使用されました。

1975年に完成した二代目の大鳥居は、高さ12メートル、幅17.1メートル、柱の直径は1.2メートルにも及びます。これらの寸法により、この大鳥居は木造の明神鳥居として日本最大を誇り、訪れるすべての人々に強い印象を与えます。その存在はただの門を超え、明治神宮への入口としての役割だけでなく、日本の伝統と自然への敬意を象徴するものとなっています。

本殿

明治神宮の本殿は、神社の最深奥に位置し、神霊が祀られている聖所です。内部では、神官によって日々の祭儀が厳かに執り行われており、特に御日供祭は毎日午前8時と午後2時に行われ、神への神饌を奉納し、祈祷を捧げます。本殿とその周囲の建物は、美しい日本のヒノキで造られており、屋根は耐久性のある銅で覆われています。特に使用されているヒノキは、長野県木曽地方のもので、日本の神社建築における伝統と自然の調和を感じさせます。

本殿は流造様式で建造されており、このスタイルは日本の伝統的な神社建築の中でも人気があります。正面の屋根が特徴的で、階段を覆うように伸びており、裏側の屋根よりも長くなっています。この様式は、神社の荘厳さと美しさを引き立てています。本殿の周囲には、祝詞殿、内拝殿、外拝殿が配置されており、それぞれが神聖な空間を形成しています。外拝殿は特に重要で、参拝者がお参りをする主要な場所となっています。

元々1920年に建立された本殿は、第二次世界大戦の戦火によって焼失しましたが、1958年に現在の建物が完成しました。再建された本殿では、防火の観点から、木の樹皮ではなく、これは元の建築の美しさを保ちつつ、未来に向けた耐久性を高めるための工夫なのです。

清正井

東京の喧騒を忘れさせる緑豊かな明治神宮の中に、ひっそりとその存在を主張する清正井は、多くの訪問者を惹きつける神秘的な場所です。毎分60リットルという豊富な水量で湧き出るこの井戸は、戦国時代の名将、加藤清正によって掘られたと伝えられています。その真偽は定かではありませんが、この井戸から湧き出る水の清らかさと絶え間ない流れは、多くの人々にとって悪い気を浄化し、運気を上げるパワースポットとしての価値を持っています。

特に、この井戸の水を携帯電話の待受画面に設定することで、その効果がさらに高まるとも言われており、多くの訪れる人々がその恩恵を期待しています。清正井への道のりは、代々木御苑の美しい自然に囲まれ、明治天皇が昭憲皇太后のために植えられた花菖蒲がその風景を一層引き立てます。特に6月には、花菖蒲が満開となり、その美しさは訪れる人々を魅了します。この時期に清正井を訪れることは、自然の美しさと歴史的な背景が融合した独特の体験を提供します。

しかし、清正井を訪れる際にはいくつかの注意点があります。夕方や雨の日は悪い気をもらってしまうとされているため、晴れた日の午前中に訪れるのが最適です。また、清正井を訪れた後には、ぜひ明治神宮の本殿を参拝することをお勧めします。これにより、運気の上昇や交通安全のご利益が得られると言われています。

入園には「維持協力金」として500円が必要ですが、その価値は十分にあります。代々木御苑の自然の中で、清正井の清らかな水の流れを眺めることは、心を落ち着かせ、日常生活の喧騒から離れてリフレッシュする絶好の機会を提供してくれます。
(画像引用: 東京湧水)

夫婦楠(めおとくす)

本殿のそばに佇む2本の楠木は夫婦楠と呼ばれていて、明治神宮の中でも際立つパワースポットとして多くの参拝者を魅了しています。夫婦楠は、2本の大楠がまるで寄り添うように立っており、その間には縄で結ばれた神聖な空間が形成されています。この独特の様子から「夫婦楠」と呼ばれ、夫婦間の絆や良縁を象徴する存在として親しまれています。緑深い明治神宮の中で、これらの楠木は特に神秘的な雰囲気を放ち、訪れる人々を引きつけます。

夫婦楠は、夫婦円満や良縁に恵まれるというご利益があると言われています。そのため、恋愛や結婚を願う若者から、長い結婚生活を送る夫婦まで、幅広い層の人々が訪れます。2本の楠木が互いに寄り添いながらも力強く成長する様子は、多くの人々にとって希望や安心の象徴となっています。夫婦楠の前でのお参りも、神社の伝統に則り、2礼2拍手1礼の作法で行われます。この作法を通じて、訪れる人々は自身の願いや感謝の気持ちを神様に伝えます。夫婦楠の前でのお参りは、特に心を込めて行いたい儀式の一つです。
(画像引用: TABIZINE)

菖蒲田

明治神宮の中には昭憲皇太后のために造られた美しい花々が咲き誇る菖蒲田と呼ばれる空間があります。かつて熊本藩加藤家、その後彦根藩井伊家の下屋敷だったこの地は、明治維新後に御料地となり、明治天皇がその野趣あふれる美しさに魅了されました。特に、天皇は昭憲皇太后のためにこの庭園を整備することを発案し、花菖蒲の植栽を含む詳細な計画にまで自ら関わられました。当時の昭憲皇太后の健康を案じ、御苑を散策することでの適度な運動と気分転換を願い、細部に至るまで設計が配慮された造園となりました。

菖蒲田への小径は、杜の中を深く進むにつれて次第に眺めが変わり、訪れる人々にはその都度異なる風景が楽しめます。一望できる菖蒲園とは異なり、この変化に富んだ景色は、訪れる人々にとって格別の趣を提供しています。明治神宮の菖蒲田は、江戸時代から続く伝統的な江戸系花菖蒲の名品種を多く保有しています。中でも、「菖翁花」は、他では見られない珍しい品種として知られ、その歴史的価値は計り知れません。これらの花は、種からではなく株分けによって世代を超えて継承されてきました。林苑の田村耕一郎さんなど、御苑の管理に携わる方々の手によって、毎年数万ポットにも及ぶ植え替えが行われ、これら貴重な花々が守られ続けています。菖蒲田の美しい景観は、歴史ある花々を後世に伝えようとする献身的な努力の賜物です。花期には毎日のように花殻を摘み取り、種が落ちていないか、来年の花芽がついているかを確認するなど、その保全活動は厳格に実施されています。

亀石

明治神宮にある亀石は、その外見が亀に似ていることからその名がつけられました。日本では亀は「鶴は千年、亀は万年」という言葉にもあるように、長寿と健康の象徴とされています。そのため、亀石は縁起の良いパワースポットとして多くの参拝者から注目されています。

この神聖な石には「長寿」と「健康」のご利益があるとされ、触れることでこれらの恩恵を受けられると信じられています。さらに、「金運アップ」や「縁結び」など、さまざまな願いを叶える力があるとも言われており、参拝者にとって見逃せないスポットの一つです。

明治神宮を訪れた際には、亀石を訪れてそのパワーを感じ取り、長寿や健康、さらには様々な幸運を願うことがおすすめです。
(画像引用: 不動産流通システム)

明治神宮の豆知識

東京の喧騒から一歩足を踏み入れると、訪れる者を別世界へと誘う深い森が広がる明治神宮。しかし、この森が今のような豊かな生態系を持つ「神域」になったのは、自然の成せる業ではなく、人々の手によって造られた人工の森であることは、意外に思われるかもしれません。

自然豊かな杜は実は人工林

かつてのこの地域は、ほとんど何も生えていない不毛の地でした。しかし、100年前、全国から約10万本の木が寄付され、11万人のボランティアによって一本一本丁寧に植えられ、今日見ることができる深い森が形成されました。この森の背後には、明治天皇崩御後に立ち上がった明治神宮創建の基本計画に参加した林学者たちの強い意志と献身があります。彼らの目標は、自然に任せた原生林を人の手で再現することでした。選ばれた樹種は、自然の循環を実現するために、常緑広葉樹のシイ、カシ、クスノキなどでした。神宮の森に即座に風格をもたらすため、植栽計画は50年、100年、150年後を見据えて立てられました。初期段階では、常緑針葉樹としてのマツやスギを主に植え、その間に常緑広葉樹を配置。予想によれば、150年後には理想の森が形成されるはずでした。

しかしこの計画は一時、時の総理である大隈重信からの強い反対に遭いました。大隈は、伊勢神宮や日光東照宮のような杉林を望んだのです。林学者たちは研究と将来への深い洞察に基づいて、多様な生態系を持つ森の価値を熱く説明し、政府に認めさせました。明治神宮の森が今日、多様な生物にとっての避難所となり、都市のオアシスとして機能しているのは、偉大な先人たちの遠大なビジョンと尽力の結果なのです。
(画像引用: Printerest)

奉納されたワイン樽

明治神宮を訪れると、南参道を歩いている際に目にする特別な光景があります。それは、神聖な場所にふさわしい落ち着いた雰囲気の中で、ずらりと並んだ酒樽とワイン樽の列です。日本の伝統に根差した清酒の菰樽(こもだる)が並ぶ中、特に目を引くのは、フランスのブルゴーニュ地方から奉納されたワイン樽です。

この珍しい風景は、明治天皇の西洋文化への開放的な姿勢と、ワインに対する好みが背景にあります。明治時代は日本における西洋文化の積極的な導入の時期であり、明治天皇自身もその流れをリードしていました。そのため、神社にワイン樽が奉納されるという、日本の伝統的な神社の風景にはない、非常に珍しい光景が明治神宮には存在するのです。

訪れる人々は、これらのワイン樽を見ることによって、明治時代の日本がどのように西洋文化を取り入れ、独自の文化を形成していったかを感じ取ることができます。また、これらの樽は単なる展示品ではなく、神社への奉納品としての意義を持っているため、見る者にとっては単に美しいだけでなく、その背景にある歴史や文化的な価値を考えさせられるものです。

「菊」と「桐」の紋章が使われている理由

この明治神宮の御神紋には、「菊」と「桐」が並び立つ、非常にユニークなデザインが用いられています。これらの紋章は、ただの装飾以上の深い意味を持ち、神宮の歴史と明治天皇への敬意を象徴しています。

菊の紋章は、鎌倉時代から皇室で受け継がれてきた、日本で最も象徴的な紋章の一つです。特に十六弁の菊は、皇室の正式な紋章とされ、天皇の象徴となっています。明治神宮の創建当初は、十六弁の菊の紋章が用いられていましたが、現在は皇室への配慮から十二弁の菊を使用しています。この変更は、皇室との深い結びつきを尊重しつつ、独自のアイデンティティを保持するためのものです。

一方、桐の紋章は、豊臣秀吉の家紋として知られていたものが、後に天皇家に受け継がれました。明治時代には、日本政府の紋章としても採用され、公的な象徴としての地位を確立しました。桐の紋章は、公的な性質を持ち、国家や政府の正式な紋章として用いられることが多いです。

明治神宮では、これら二つの紋章が組み合わさっています。これは、神宮が明治天皇を祀っていることに由来します。明治天皇は、近代日本の礎を築いた重要な人物であり、個人としての「私的な性質」を象徴する菊と、国家や政府の「公的な性質」を象徴する桐、両方の紋章を持っていました。このため、明治神宮における菊と桐の紋章は、明治天皇の個人的な資質と公的な役割の統合を表しており、神宮の独特な位置づけと重要性を示しています。

吉凶がないおみくじ

明治神宮で引くおみくじは、通常のおみくじとは一線を画しています。その最大の特徴は、吉凶の表記がなく、代わりにお歌が書かれていることです。この独自の形式は、戦後に國學院大學の教授であった宮地直一氏の提案によって生まれました。「大御心」と名付けられたこのおみくじは、明治天皇と昭憲皇太后のお歌から選ばれた、人間の道徳や倫理を示す教訓的な内容を持つお歌30首(明治天皇のお歌15首、昭憲皇太后のお歌15首)を含んでいます。これらのお歌は、明治天皇の93,032首、昭憲皇太后の27,825首の膨大な数の中から厳選されたものです。

明治神宮のおみくじに吉凶がない理由は、訪れる人々に対して、運命や運勢を占うことではなく、生き方や心構えについて考えるきっかけを提供することに重きを置いているからです。引かれるお歌には、人生を豊かに生きるためのヒントや、心に響く教訓が込められています。また、おみくじには英訳が添えられており、外国からの訪問者にもその意味が伝わるよう配慮されています。この点も、明治神宮のおみくじが国際的な参拝者にも親しまれる理由の一つです。

まとめ

いかがでしたでしょうか。明治神宮の歴史と見どころと豆知識を紹介してきました。由緒ある神社ですが、意外と造られたのが最近で、しかも壮大な杜も実は人工林だったことは驚きですね。神社としての本殿や大鳥居以外にも夫婦楠や菖蒲田、亀石といったパワースポットのような見どころがあります。このように明治神宮はいろんな側面から楽しめる要素が盛りだくさんなのです。

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