天下泰平の世と言われた江戸時代の武士や侍はどのような暮らしをしていたのでしょうか。武士や侍といえば日本刀や弓矢で戦で活躍するイメージがありますが、江戸時代には戦がほとんどない平和な時代でした。そんな時代に武士たちは一体どのような暮らしをしていたのでしょうか。
武士は鎌倉時代から自分の領地からの収入で生活していました。そして戦で活躍しその手柄として新しい領地を得ることで収入を増やしていった。しかし江戸時代は治安が良く、戦がほぼなかった時代です。
そのため多くの武士は幕府(武士による政府)や藩(武士が使える地域の政府)での働きから収入を得ていたのです。つまり現代のサラリーマンのような役職でもらえるお金に差があった時代なのです。
そこで今回は江戸時代の武士や侍の暮らしについて役職別で紹介していきます。
幕臣の仕事と働き方
まずは君主に使える身分では一番位が高かった幕臣という階級の武士から紹介していきます。幕臣とは江戸幕府をリーダーである徳川家に直接使えている武士たちを指します。彼らは徳川家を直接の君主として使え、1万石未満の禄(給与)を与えられた「旗本」または「御家人」、「直参」という身分とも呼ばれていました。幕臣は上級武士なので莫大な領地が与えられていました。
上級幕臣の暮らし
幕臣の中でも階級が上の方だと徳川家につかえるための役職が準備されています。しかし実際には役職の数に対して幕臣の人数が多すぎて役職に就けなかった人も多かったと言われています。幕府には様々な役職があり、将軍の身の回りの世話から、政務・軍務に至るまでいろいろな仕事がありました。しかしそれでも幕臣の人数が多く余っていたので仕事がない幕臣もいたのです。そのため役職に就けない武士たちは給料が発生せず、ましてや仕事で活躍して昇給ということも実現できませんでした。
もちろん上級武士なので領地からの収入があり、全くの無収入というわけではありません。ですが中には家系的に厳しく、借金をしたり、あるいは私塾といった学問を教える仕事をして収入を稼ぐ武士もいたのです。
下級幕臣の暮らし
下級幕臣は明確な役職があるわけではなく、イベントやペリー来航など大掛かりな動員が必要な時に駆り出されるような仕事が中心でした。しかしそのようなイベントも常時たくさんあるわけではなく基本的には暇していたのです。
この下級幕臣たちは領地収入があるとはいえ、あまりに仕事がないので生計を支えるために副業に手を出す人が多かったと言われています。中でも多かったのが私塾を開いて学問を教えるというもの。というのもどんなに仕事がなくても武士は武士。商売のためになりふり構わずなんでもやるというのが武士の体裁を保つうえでできなかったのです。私塾は学問を多くの人に教え世に貢献するという大義名分があったので、多くの下級幕臣にとっては手が付けられやすい仕事だったのです。
しかし中には借金が大きかったり生活が苦しいと武士としての体裁など気にしてられない下級幕臣もおました。そんな彼らは傘張りの内職や花や植木、鈴虫や小鳥を売ることで収入を得て生計を何とか立てていたのです。
藩士の暮らし
続いて藩士の生活にいきます。藩とは首都の江戸に対し、各地方の行政を行う政府を指します。そんな藩に仕える武士を藩士といいます。
藩士の役職は「番方」「役方」「奥」の順番で高いものでした。「番方」は藩の軍務にかかわる仕事です。藩の軍に常駐し、城の守衛、城番、主君が出行する時の供奉などを仕事として行っていました。
「役方」は今でいう経理に近い仕事でした。役方は吏官として藩の政務や事務あるいは典礼の遂行などを行っていました。そして「奥」は秘書のようなアシスタント業務が中心でした。藩主のすぐ側に四六時中付き添い、藩主の身の回りの生活を支える役目だったので、下の役職とはいえ最も忙しい役職だったのです。
とはいえ藩士も藩主に使えることができれば役職は与えられたので、江戸の武士ほど仕事に困るということもありませんでした。
まとめ
いかがでしたでしょうか。今回紹介したように武士といっても身分や役職に応じて生活レベルも大きく変わっていたのです。特に江戸の武士たちは役職が足りず副業に手を出していた人が多かったのは意外でした。意外と自由な働き方でしたね。
一方で武士としての体裁を保つというのが何より重要で意識しなければならなかった点が現代との大きな違いでした。今と比べて福利厚生も充実はしておらず、自由な働き方ができているようでそうもいかない歯がゆい現実もあったようです。