皆さん、鎌倉へ訪れたことございますでしょうか。鶴岡八幡宮や大仏、竹林で有名な報国寺、紫陽花寺にフォトジェニックな鎌倉高校前に由比ガ浜と様々な見どころがあります。さらに鎌倉は実はかつて政治の中心で日本で初めて幕府が開かれた場所でもあります。一体何故鎌倉に幕府が開かれたのでしょうか。そんな歴史や見どころ満載な鎌倉を今回は徹底紹介していきます。
鎌倉の歴史
それでは続いて鎌倉の見どころを見ていきましょう。鎌倉には歴史に自然に様々な見どころがあるので、いろんな側面から楽しめます。
鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮は、源頼朝の強い意志と歴史の渦に抱かれた神聖な地、鎌倉の象徴として約850年前の1180年にその基を築きました。この神社は、関東地方を支配下に置いていた源頼朝により、祖先との深い繋がりを象徴する八幡宮が現在の地に遷され、その結果、鶴岡八幡宮が誕生しました。源頼朝は、鎌倉の発展と共に、妻・北条政子の安産を願い、神社の造営を進めたと言われています。
鶴岡八幡宮は、鎌倉幕府が開かれて以降、鎌倉武士の守護神として深い信仰を集め、武士たちの心の拠り所となりました。幕府の滅亡後、一時的にその活気を失うものの、江戸時代に入ると、徳川家康をはじめとする歴代将軍がこの神社の保護と復興に力を注ぎ、数多くの建物の修復や造営が行われました。
時代が流れ、江戸時代以降、鶴岡八幡宮は観光地としても人々の注目を集めるようになりました。神社の美しい境内、壮大な歴史、そして鎌倉の自然美は、国内外から多くの観光客を惹きつけてやみません。今日では、鶴岡八幡宮は関東エリアの人気スポットのひとつとして、年間を通じて多くの人々に愛され続けています。
(画像引用: skyticket)
高徳院鎌倉大仏
高徳院の鎌倉大仏は、歴史深き鎌倉の地に静かに佇む、日本の代表的な文化財の一つです。この金銅製の鋳造仏は、武家政権と民衆の平安を願い、1252年に造立が開始されました。作者は明らかではありませんが、鎌倉時代特有の造形美を持つこの大仏は、慶派の作風と宋代の中国仏師からの影響を受けた、独特の存在感を放っています。そのやさしい微笑みと、鎌倉の自然に溶け込む姿は、多くの人々を魅了してやみません。
鎌倉大仏は重量約121トン、座高11.31メートル、台座を含めると13.35メートルの圧倒的なサイズを誇り、その迫力は訪れる者を圧倒します。日本三大大仏の一つに数えられるこの仏像は、鎌倉では唯一の国宝に指定されており、その価値は計り知れません。
この大仏は、最も格式が高いとされる「上品上生印」を結び、深い瞑想の中にあるかのような姿勢をとっています。また、仏像には「三十二相八十種好」という、仏の姿の32の特徴があるとされ、その中には紺青色の目や白毫、螺髪などが含まれています。これらはすべて、仏が持つ高い智慧や悟りを象徴するものとされています。
(画像引用: 鎌倉市観光協会)
明月院
鎌倉高校前
江ノ島電鉄、通称「江ノ電」の鎌倉高校前駅は、その名の通り、鎌倉高校の最寄り駅として知られ、鎌倉の地から7つ目の駅に位置しています。この駅は、ホームから海までの距離が非常に近く、駅のベンチに座ると、目の前に広がる青い海と水平線の美しい光景に心奪われます。まるで絵画のようなこの風景は、訪れる人々にとって忘れがたい印象を残すことでしょう。
また、この駅は『スラムダンク』という大ヒット漫画のオープニングシーンに登場することでさらに有名になりました。そのため、国内外から多くのアニメファンが訪れ、駅横の踏切は人気の撮影スポットとなっています。ファンにとっては、物語のワンシーンに自分が入り込んだような感覚を味わうことができる、特別な場所です。
鎌倉を訪れる際には、江ノ電での移動を楽しむのも一つの醍醐味です。特に「のりおりくん」という一日乗車券を利用することで、800円(大人)または400円(子ども)で一日中江ノ電を乗り放題という、非常に便利でお得なプランを享受できます。さらに、この乗車券は飲食店や新江ノ島水族館、長谷寺など、様々な施設での特典が付いているため、鎌倉観光をより一層楽しむことができます。
報国寺
鎌倉に位置する報国寺は、その静謐な美しさで知られる「竹の寺」として広く愛されています。このお寺は、ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで3つ星の評価を受けるなど、国内外から高い評価を得ており、多くの訪問者がその美しい竹林を目にするために足を運んでいます。境内に生い茂る約2,000本の竹は、見る者に圧倒的な存在感とともに癒しを提供してくれます。この「竹の庭」にはマイナスイオンが溢れ、その中で味わう一杯の抹茶は格別なものがあります。
しかし、報国寺の魅力は竹林だけにとどまりません。美しい草花や苔、そして典型的な日本庭園もこのお寺の大きな見どころです。また、境内には足利一族のお墓があり、鎌倉時代から続く長い歴史を物語る貴重な遺跡となっています。
報国寺は1334年に建立され、足利氏や上杉氏といった歴史に名を刻む武家の菩提寺としても知られています。また、有名な文豪・川端康成もかつてこの地の近くに住んでおり、報国寺やその周辺を散策していたと伝えられています。お寺の入り口に立つ「薬医門」は、その奥に広がるなだらかな参道へと導く、まるで別世界への入り口のような美しさを持っています。
(画像引用:The Gate)
由比ガ浜
由比ヶ浜は、その美しい景観と歴史ある魅力で、多くの訪問者を惹きつける鎌倉の代表的な海岸です。鎌倉駅から徒歩圏内、また江ノ電の「由比ヶ浜駅」からはわずか数分というアクセスの良さが、この海岸を訪れる人々にとって大きな魅力の一つとなっています。明治時代から海水浴場として親しまれ、夏にはおしゃれなデザインの海の家が立ち並び、ビーチライフを楽しむ人々で賑わいます。
由比ヶ浜の魅力は、ただ泳ぐだけにとどまりません。海岸沿いには、素晴らしい海の景色を眺めながら食事ができるレストランやカフェが点在しており、夕日に染まる海を背景にしたロマンチックな時間を過ごすことができます。また、このエリアはレンタサイクルが充実しており、風を感じながら海岸沿いを自転車で駆け抜けるのも、由比ヶ浜での過ごし方の一つです。爽快感とともに、海の美しさを身近に感じることができるでしょう。
(画像引用: Kanagawa Travel Info)
鎌倉の豆知識
それでは次に鎌倉の豆知識を見ていきましょう。鎌倉にも様々な逸話や豆知識があるので、知っておくと面白いですよ。
なぜ鎌倉が選ばれたのか
日本の政治の中心は昔は凶とであったのになぜ突然が政治の中心として選ばれたのでしょうか。それには様々な背景がありました。まず鎌倉は源氏にとってゆかりの地であり、源頼義が11世紀半ばに鶴岡八幡宮を建立していたことから、源氏の武将たちにとっては重要な地でした。
また鎌倉は南が海に面し、他の三方を山が囲む自然の要害であり、防御に非常に適していました。北からの入口は「切通」と呼ばれる細い掘削路を通る必要があり、これが大軍による攻撃を難しくしていました。また、海に面していることで相模湾を通じた海上交通の要衝ともなり、経済的な優位性ももたらしました。
さらに鎌倉は東国の海上交通の重要性と連携しており、海に開けた地の立地が防御面だけでなく、交通や経済の面でも重要視されました。この海上交通路は、内陸部への影響力を拡大する上で重要な役割を果たしました。このような歴史的、地理的背景から鎌倉は武士による政治の中心地として選ばれたのです。
(画像引用: HISTORISTO)
大仏はなぜ建設されたのか
日本の鎌倉にある大仏(鎌倉大仏)は、歴史的にも芸術的にも重要な仏教彫刻の一つであり、多くの人々に親しまれています。この壮大なアミダ如来の座像は、高さ約11.4メートル、銅製で作られており、日本の仏像の中でも特に有名です。しかし、この大仏が制作された背景にはどのような歴史的な意義があるのでしょうか。
大仏が建てられた鎌倉時代には、日本はモンゴル帝国の侵攻(元寇)に二度にわたって直面しました。この外国からの脅威は、国内の結束を強める必要があるという意識を高め、仏教への帰依を深めるきっかけとなりました。また、当時の社会は自然災害や飢饉などにも悩まされており、人々は不安定な時代を生きる中で、精神的な支柱や拠り所を求めていました。
大仏の制作は、こうした社会的・政治的な背景の中で、人々に希望を与え、国土の守護や民衆の安寧を祈るために企画されました。アミダ如来は西方極楽浄土を統べる仏とされ、死後、極楽浄土に迎えられることを願う信仰が広く受け入れられていました。この大仏は、そうした民衆の信仰心を形象化したものと言えます。
(画像引用: 楽天Travel)
幕府という言葉は実は後付け
まとめ
いかがでしたでしょうか。鎌倉の歴史を紹介してきました。鶴岡八幡宮や大仏、名月寺と歴史的建造物だけでも楽しめますし、鎌倉高校前のフォトジェニックな景色や由比ガ浜で海を眺めるのも楽しめます。こんな見どころ満載な土地にかつて幕府があり、日本の中心となっていたのです。そうした歴史的背景も知って鎌倉へ訪れるとまた違った側面からも鎌倉を楽しめそうですね。
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