1. 日本を知る

  2. 日本画

  3. 庭園

  4. 抹茶

  5. 宗教

  6. 外交

  7. 建築

  8. 花魁

  1. 飛鳥時代

  2. 古墳時代

  3. 弥生時代

  4. 縄文時代

  5. 旧石器時代

  1. 東京

  2. 大阪

  3. 鎌倉

  4. 京都

  1. 護符の効果の期間はどれくらい?効果が出るタイミングや期限と正しい処分の仕方も紹介

  2. 吉田松陰は何した人か簡単な年表、死因、性格やエピソードを紹介

  3. 高杉晋作は何した人か簡単な年表、死因、性格やエピソードを紹介

  4. 最強の護符「角大師護符」とは?モデルの元三大師良源はおみくじの起源?

  5. よく効く護符の置き方や貼り方は?願い事別のお願い事のやり方や呪法も併せて紹介

  6. 護符の書き方は?自分で書く時の方法を紹介

  7. 護符の種類や選び方は?おすすめの護符も併せて紹介

  8. 護符やお守りの処分方法は神社で!?処分するタイミングや費用も併せて紹介

  9. 護符とお守りの違いとは!?効果や作られ方の違いについても紹介

  10. 三面大黒天のご利益は?豊臣秀吉を出世させた三面大黒天の効果や祀り方を紹介!

  11. 白蛇財布は金運Upに効果あり!?白蛇が金運が良い理由とおすすめの白蛇財布を紹介!

  12. 陰陽道家 高橋圭也先生のブレスレットは恋愛効果抜群!?陰陽師ブレスレットを徹底紹介!

皆さん、鎌倉へ訪れたことございますでしょうか。鶴岡八幡宮や大仏、竹林で有名な報国寺、紫陽花寺にフォトジェニックな鎌倉高校前に由比ガ浜と様々な見どころがあります。さらに鎌倉は実はかつて政治の中心で日本で初めて幕府が開かれた場所でもあります。一体何故鎌倉に幕府が開かれたのでしょうか。そんな歴史や見どころ満載な鎌倉を今回は徹底紹介していきます。

鎌倉の歴史

鎌倉時代の歴史は今から1万年以上前の時代、旧石器時代の人々が鎌倉の地を歩いていたことから物語は始まります。粟船山の裏手で発見された石器は、この地が古くから人々の生活の場であった証拠となっています。縄文、弥生、そして古墳時代を経て、鎌倉は様々な文化の層を重ねてきました。

平安時代、源頼義が相模守としてこの地に足を踏み入れた時、彼は京都の石清水八幡宮を勧請し、鶴岡八幡宮を建立しました。ここに源氏と鎌倉の深い絆が生まれました。そして、源義家、義朝と続く源氏の歴史が鎌倉に刻まれていきました。

12世紀末、源頼朝の手によって平氏を討ち、鎌倉幕府が開かれました。これは、日本の歴史における新たな章の始まりでした。日本の歴史において初めて武士が国を治める政治体制が確立され、鎌倉がその中心地となったのです。

鎌倉幕府の成立は、武士が中心となって行う「武家政権」のスタートを意味しており、従来の貴族中心の政治からの大きな転換点となりました。幕府は、地方の支配を強化するために「御家人」と呼ばれる武士を組織化し、彼らに土地を与えることで忠誠を確保しました。また、法律体系として「御成敗式目」を定め、武家社会の秩序を整えました。鎌倉時代の鎌倉は、政治の中心であると同時に、文化の中心地としても栄えました。この時代には「武士道」という武士の倫理観が形成され、また、禅宗が日本に伝来し、武士層の間で広く受け入れられました。禅宗は、鎌倉の新興武士階級と共鳴し、多くの禅寺が建立されたことで、鎌倉は文化的にも発展しました。

しかし、時代は移り変わり、元弘3年には新田義貞によって幕府が滅ぼされ、その後、室町時代に入ります。足利尊氏が室町幕府を開くと、鎌倉には鎌倉府が置かれ、一時的なにぎわいは保たれましたが、最終的には農業と漁業の村へと姿を変えていきました。江戸時代になると、鎌倉は再び注目されるようになります。社寺の復興や史跡めぐりの楽しさが語り継がれ、「新編鎌倉誌」の編纂などにより、鎌倉は観光地としての地位を確立しました。さらに明治時代に入り、横須賀線の開通により、鎌倉は文化人の集う町、保養地として新たな魅力を放ち始めました。関東大震災を乗り越え、鎌倉はその歴史と文化、自然の美しさを背景に、多くの人々を引き付け続けています。

今日、年間2千万人もの訪問者がこの古都を訪れ、1千年以上の歴史とともに新しいセンスを味わい続けています。鎌倉の物語は、過去から現在、そして未来へと紡がれていく永遠の物語です。

鎌倉の見どころ

それでは続いて鎌倉の見どころを見ていきましょう。鎌倉には歴史に自然に様々な見どころがあるので、いろんな側面から楽しめます。

鶴岡八幡宮

鶴岡八幡宮は、源頼朝の強い意志と歴史の渦に抱かれた神聖な地、鎌倉の象徴として約850年前の1180年にその基を築きました。この神社は、関東地方を支配下に置いていた源頼朝により、祖先との深い繋がりを象徴する八幡宮が現在の地に遷され、その結果、鶴岡八幡宮が誕生しました。源頼朝は、鎌倉の発展と共に、妻・北条政子の安産を願い、神社の造営を進めたと言われています。

鶴岡八幡宮は、鎌倉幕府が開かれて以降、鎌倉武士の守護神として深い信仰を集め、武士たちの心の拠り所となりました。幕府の滅亡後、一時的にその活気を失うものの、江戸時代に入ると、徳川家康をはじめとする歴代将軍がこの神社の保護と復興に力を注ぎ、数多くの建物の修復や造営が行われました。

時代が流れ、江戸時代以降、鶴岡八幡宮は観光地としても人々の注目を集めるようになりました。神社の美しい境内、壮大な歴史、そして鎌倉の自然美は、国内外から多くの観光客を惹きつけてやみません。今日では、鶴岡八幡宮は関東エリアの人気スポットのひとつとして、年間を通じて多くの人々に愛され続けています。
(画像引用: skyticket)

高徳院鎌倉大仏

高徳院の鎌倉大仏は、歴史深き鎌倉の地に静かに佇む、日本の代表的な文化財の一つです。この金銅製の鋳造仏は、武家政権と民衆の平安を願い、1252年に造立が開始されました。作者は明らかではありませんが、鎌倉時代特有の造形美を持つこの大仏は、慶派の作風と宋代の中国仏師からの影響を受けた、独特の存在感を放っています。そのやさしい微笑みと、鎌倉の自然に溶け込む姿は、多くの人々を魅了してやみません。

鎌倉大仏は重量約121トン、座高11.31メートル、台座を含めると13.35メートルの圧倒的なサイズを誇り、その迫力は訪れる者を圧倒します。日本三大大仏の一つに数えられるこの仏像は、鎌倉では唯一の国宝に指定されており、その価値は計り知れません。

この大仏は、最も格式が高いとされる「上品上生印」を結び、深い瞑想の中にあるかのような姿勢をとっています。また、仏像には「三十二相八十種好」という、仏の姿の32の特徴があるとされ、その中には紺青色の目や白毫、螺髪などが含まれています。これらはすべて、仏が持つ高い智慧や悟りを象徴するものとされています。
(画像引用: 鎌倉市観光協会)

明月院

鎌倉の静寂な一角に佇む明月院は、1160年に創建された歴史ある「花の寺」です。もともとは明月庵として始まり、八代執権北条時宗により最明寺が前身となり、その後、禅興寺の塔頭として明月院に改められました。時が流れ、明治初頭に禅興寺が廃絶された後、明月院だけが残り、今日に至るまで人々を魅了し続けています。

明月院の最も象徴的な美しさは、何といってもその圧倒的なアジサイの景色です。境内に植えられた約2500株のアジサイが雨期には一斉に咲き誇り、「アジサイ寺」とも称されるほどに名高いこの地は、訪れる人々を青と紫の幻想的な世界へと誘います。しかし、アジサイだけが明月院の魅力ではありません。

この寺は四季折々に様々な花が咲き乱れる「花の寺」としても知られており、春には枝垂れ桜が訪れる人々をピンク色の花海に包み込みます。これらの桜は、雨の中でもその美しさを保ち、雨粒に濡れる花びらが織りなす風情は、また違った幻想的な雰囲気を醸し出します。夏はハナショウブやヤマユリ、秋にはカエデの紅葉やヒガンバナが、冬にはロウバイやウメが境内を彩り、年間を通じて訪れる人々に美しい自然の変化を楽しませてくれます。

明月院はその長い歴史とともに、美しい花々によって季節ごとに違った顔を見せる、鎌倉の隠れた宝石です。この地を訪れることで、訪れる人々は日本の自然と文化の息吹を肌で感じ取ることができるでしょう。

鎌倉高校前

江ノ島電鉄、通称「江ノ電」の鎌倉高校前駅は、その名の通り、鎌倉高校の最寄り駅として知られ、鎌倉の地から7つ目の駅に位置しています。この駅は、ホームから海までの距離が非常に近く、駅のベンチに座ると、目の前に広がる青い海と水平線の美しい光景に心奪われます。まるで絵画のようなこの風景は、訪れる人々にとって忘れがたい印象を残すことでしょう。

また、この駅は『スラムダンク』という大ヒット漫画のオープニングシーンに登場することでさらに有名になりました。そのため、国内外から多くのアニメファンが訪れ、駅横の踏切は人気の撮影スポットとなっています。ファンにとっては、物語のワンシーンに自分が入り込んだような感覚を味わうことができる、特別な場所です。

鎌倉を訪れる際には、江ノ電での移動を楽しむのも一つの醍醐味です。特に「のりおりくん」という一日乗車券を利用することで、800円(大人)または400円(子ども)で一日中江ノ電を乗り放題という、非常に便利でお得なプランを享受できます。さらに、この乗車券は飲食店や新江ノ島水族館、長谷寺など、様々な施設での特典が付いているため、鎌倉観光をより一層楽しむことができます。

報国寺

鎌倉に位置する報国寺は、その静謐な美しさで知られる「竹の寺」として広く愛されています。このお寺は、ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで3つ星の評価を受けるなど、国内外から高い評価を得ており、多くの訪問者がその美しい竹林を目にするために足を運んでいます。境内に生い茂る約2,000本の竹は、見る者に圧倒的な存在感とともに癒しを提供してくれます。この「竹の庭」にはマイナスイオンが溢れ、その中で味わう一杯の抹茶は格別なものがあります。

しかし、報国寺の魅力は竹林だけにとどまりません。美しい草花や苔、そして典型的な日本庭園もこのお寺の大きな見どころです。また、境内には足利一族のお墓があり、鎌倉時代から続く長い歴史を物語る貴重な遺跡となっています。

報国寺は1334年に建立され、足利氏や上杉氏といった歴史に名を刻む武家の菩提寺としても知られています。また、有名な文豪・川端康成もかつてこの地の近くに住んでおり、報国寺やその周辺を散策していたと伝えられています。お寺の入り口に立つ「薬医門」は、その奥に広がるなだらかな参道へと導く、まるで別世界への入り口のような美しさを持っています。
(画像引用:The Gate

由比ガ浜

由比ヶ浜は、その美しい景観と歴史ある魅力で、多くの訪問者を惹きつける鎌倉の代表的な海岸です。鎌倉駅から徒歩圏内、また江ノ電の「由比ヶ浜駅」からはわずか数分というアクセスの良さが、この海岸を訪れる人々にとって大きな魅力の一つとなっています。明治時代から海水浴場として親しまれ、夏にはおしゃれなデザインの海の家が立ち並び、ビーチライフを楽しむ人々で賑わいます。

由比ヶ浜の魅力は、ただ泳ぐだけにとどまりません。海岸沿いには、素晴らしい海の景色を眺めながら食事ができるレストランやカフェが点在しており、夕日に染まる海を背景にしたロマンチックな時間を過ごすことができます。また、このエリアはレンタサイクルが充実しており、風を感じながら海岸沿いを自転車で駆け抜けるのも、由比ヶ浜での過ごし方の一つです。爽快感とともに、海の美しさを身近に感じることができるでしょう。
(画像引用: Kanagawa Travel Info)

鎌倉の豆知識


それでは次に鎌倉の豆知識を見ていきましょう。鎌倉にも様々な逸話や豆知識があるので、知っておくと面白いですよ。

なぜ鎌倉が選ばれたのか

日本の政治の中心は昔は凶とであったのになぜ突然が政治の中心として選ばれたのでしょうか。それには様々な背景がありました。まず鎌倉は源氏にとってゆかりの地であり、源頼義が11世紀半ばに鶴岡八幡宮を建立していたことから、源氏の武将たちにとっては重要な地でした。

また鎌倉は南が海に面し、他の三方を山が囲む自然の要害であり、防御に非常に適していました。北からの入口は「切通」と呼ばれる細い掘削路を通る必要があり、これが大軍による攻撃を難しくしていました。また、海に面していることで相模湾を通じた海上交通の要衝ともなり、経済的な優位性ももたらしました。

さらに鎌倉は東国の海上交通の重要性と連携しており、海に開けた地の立地が防御面だけでなく、交通や経済の面でも重要視されました。この海上交通路は、内陸部への影響力を拡大する上で重要な役割を果たしました。このような歴史的、地理的背景から鎌倉は武士による政治の中心地として選ばれたのです。
(画像引用: HISTORISTO)

大仏はなぜ建設されたのか

日本の鎌倉にある大仏(鎌倉大仏)は、歴史的にも芸術的にも重要な仏教彫刻の一つであり、多くの人々に親しまれています。この壮大なアミダ如来の座像は、高さ約11.4メートル、銅製で作られており、日本の仏像の中でも特に有名です。しかし、この大仏が制作された背景にはどのような歴史的な意義があるのでしょうか。

大仏が建てられた鎌倉時代には、日本はモンゴル帝国の侵攻(元寇)に二度にわたって直面しました。この外国からの脅威は、国内の結束を強める必要があるという意識を高め、仏教への帰依を深めるきっかけとなりました。また、当時の社会は自然災害や飢饉などにも悩まされており、人々は不安定な時代を生きる中で、精神的な支柱や拠り所を求めていました。

大仏の制作は、こうした社会的・政治的な背景の中で、人々に希望を与え、国土の守護や民衆の安寧を祈るために企画されました。アミダ如来は西方極楽浄土を統べる仏とされ、死後、極楽浄土に迎えられることを願う信仰が広く受け入れられていました。この大仏は、そうした民衆の信仰心を形象化したものと言えます。
(画像引用: 楽天Travel)

幕府という言葉は実は後付け

鎌倉で日本で初めて侍たちの政治集団である幕府が開かれましたが、実は「幕府」という単語は、実際には鎌倉時代や室町時代には使用されておらず、その語感が武家政権のイメージにぴったり合っているにもかかわらず、実際に広く使われ始めたのは江戸時代の中期頃からでした。この単語は、元々中国の軍制に由来しています。中国では、将軍には自身の指揮下の軍隊を統括するための拠点として「幕府」を設置する権限が与えられていました。この幕府とは、軍事指揮の本部であると同時に、遠征先での臨時の政治拠点としての役割も持っていたのです。

この「臨時で設立された政治拠点」という意味を踏まえ、江戸時代の学者たちは日本における武家政権の本拠地を指すために「幕府」という単語を用い始めました。鎌倉幕府や室町幕府といった名称は、歴史を振り返って後世の人々が便宜上使い始めたもので、それらの時代の人々自身が自分たちの政権をそう呼んでいたわけではありません。

特に鎌倉幕府の場合、源頼朝が征夷大将軍として追討御使(とっとうぎょし)としての権限を得て、鎌倉に自身の政治の中心を築いたことから、この新しい武家政権の形態を指して後世に「幕府」という名が用いられるようになりました。このようにして、「幕府」という単語は日本の歴史の中で、特定の時代における武家による政権を指すために用いられるようになったのです。

実は大仏の中に入ることができる

迫力のある鎌倉の大仏ですが、実は追加で20円払えば大仏の中へ入ること知っていましたでしょうか?実は大仏像の内部が空洞であり、訪れる人々が内部を見学することができるのです。20円の追加の拝観料で胎内に入ると、鋳造に用いられた技術や、壁面の格子模様を通じて、約40回に分けて鋳造された様子や、それらを組み合わせる鋳繰りの技法など、当時の高度な技術力を目の当たりにすることができます。鎌倉大仏は体の部分が7つのパーツ、頭は11のパーツで分けて作られていることが分かります。

鎌倉大仏は意外にも中身が空洞ということで建設された当時から、男女の密会の場となっていたり博打が打たれていたり浮浪者が暖をとっていたりとなんともバチ当たりなこともされていたようです。鎌倉大仏は国宝に指定されているのですが、まさか国宝の内部へ侵入することができるとは。それにしても迫力のある鎌倉大仏の中が空洞というのも意外です。
(画像引用:MATCHA)

まとめ

いかがでしたでしょうか。鎌倉の歴史を紹介してきました。鶴岡八幡宮や大仏、名月寺と歴史的建造物だけでも楽しめますし、鎌倉高校前のフォトジェニックな景色や由比ガ浜で海を眺めるのも楽しめます。こんな見どころ満載な土地にかつて幕府があり、日本の中心となっていたのです。そうした歴史的背景も知って鎌倉へ訪れるとまた違った側面からも鎌倉を楽しめそうですね。

本サイトは鎌倉以外にも面白い日本の歴史や文化について紹介しています。興味ある方はぜひ他の記事も読んでいただけると嬉しいです!